2020年12月28日(月)の手紙

2020年12月28日(月)


『イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされて、神の栄光と誉れが現されますように。』ピリピ人への手紙1章11節


神は実際的なものを求めておられる。
単なる言葉の羅列にすぎない高尚な信仰告白では満足なさらない。

「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもつて愛しましょう」

ほむべきかな、その栄光の御名、主は私たちをことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛され、明確で十分な応答を我々に求めておられる。

良い働きを行う人生、イエス・キリストによって与えられる円熟した義の実の房に満たされて、神の栄光と誉れを産み出す人生に現される応答を求めておられるのだ。

あなたは、この重いテーマに心を注ぐことが私たちに負わされた責務だと考えてはいないだろうか。
私たちは、愛とよい働きを促進するために骨を折らなければならないのだろうか。

このことをもっとも効果的に成し遂げるにはどうしたらいいのだろうか。
それはもちろん、我々自身が愛によって歩み、自分の私生活においてよい働きの道を誠実に歩んで行くことである。

実のところ、私たちはうわべだけの信仰告白には心底うんざりしていると言わざるをえない。
口先だけで高尚な真理を語り、日常生活における実践はお粗末というのが、この我々の日常のはなはだしい悪である。

私たちは恵みのことを語るが、一般的な義には欠けている。
つまり、日々の私生活におけるありきたりな道義的責務を怠っている。

自分の『地位や立場』を自慢するが、自分の『状況や状態』については嘆かわしいほどに手ぬるいのである。

ああ、豊かないつくしみの主よ、よき働きを追い求めるように、我々の心のすべてを熱く完全にかきたてたまえ!
そうすればあらゆることにおいて、我らの救い主である神の教義をもっと十分に飾ることができるからだ。

C・H・マッキントッシュ


私たちの人生においてキリストの証しをするために必要なことは、キリストに私たちの内に生きていただくことである。

だから使徒パウロは「あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、……再びあなたがたのために産みの苦しみをしている」のだ。

クリスチャンが心から信じていることが、その人の性格とこの地上での日々の歩みに影響を与える。
キリストを高く上げる教義が、私たちを聖くする。
キリストを高く上げない教義は、聖霊が私たちの内で働かれてキリストのように造り上げてくださることを妨げる。

偽りの教師たちがガラテヤ人に、救われるためにはキリストだけではなく、割礼も律法も行うべきだと言ったとき、これは実際にはキリストご自身への攻撃であり、キリストだけでは彼らを救うに足りないということを意味していた。

不完全な救い主など、救い主であるわけがないのだ。

G・C・ウィリス


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