2020年12月21日(月)の手紙

2020年12月21日(月)


『まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。』ヨハネの福音書12章24節〜26節


神は時として、夏の実をもっとよく結べるように、私たちに冬の季節をお与えになることがある。
季節に対して、あたかも土の中のことのように働かれるのが主のやり方である。

地に落ちて死んだ種が死を通してよみがえるように、神が私たちの労苦が実る希望を断ち切るように見えても、私たちが神の御手のもとにへりくだり、神がご自身の栄光を確かなものとされるとき、神は御力をふるって、埋められていた私たちの希望にいのちをもたらしてくださるのだ。

たましいに安らぎがほんのわずかしかないとき、神との豊かなふれあいがあるかもしれない。
喜びと楽しみがほんのわずかしかないとき、豊かな実りがあるかもしれない。

状況がどう見えても、私たちがみことばを信じるとき、そして自らの意思をみこころに従わせるとき、私たちは実を結ぶのである。

もしも私たちが今この時に実をもたらすことができなかったら、この先も実を生じる保証はまったくない。
忍耐が試されれば試されるほど、どれほど多くの失敗を重ねることだろう!

信仰がすぐに飛躍的な進歩をとげる、あるいは深い聖化が一日で得られると期待してはいけない。
私たちが自分の霊性を失わないかぎり、神の働きのために役に立たなくなったと言われることは決してないのである。

私たちはまず最初に、生まれながらの性質を衰えさせなければならない。
そうして初めて霊的に強められ、実を結ぶことができるのだ。

ロバート・C・チャップマン


私たちが主に信頼すればするほど、また主以外のすべてのことに影響を受けなくなればなるほど、私たちは実際にますます力を得る。
またどれほど過酷な冬の季節がやって来ようとも、それをよりうまく乗り切れるようになる。

もしも私が冬の影響を受けなくなれば、私が冬に打ち勝ったのであり、冬が私に打ち勝ったのではないことは明らかだ。
そうやって私が打ち勝ったのも主イエスの力を通してであり、人間的な方法ではまったくない。

ペテロは超人的な方法で牢獄から救出されたが、まず最初に、辛い冬に耐えながらも、横になって眠る、休息を取ることができた。
主が彼を支えてくださったからである。

J・B・ストーニー


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