2020年12月20日(日)の手紙

2020年12月20日(日)


『それにしても、神は、はたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか。』歴代誌第二6章18節


あなたは、神を信じる者の内に神が永遠に住まわれることを否定することが、神の御霊に対してだけでなく、キリストに対しても、はなはだしく名誉を汚すことであると考えたことがあるだろうか。

もしも聖霊が、私たちの内に住まわれたあとで去ることがあったら、それはキリストの働きを否定することにもなるだろう。
キリストの働きは神の御前において効力を失ってしまう。

もし聖霊がクリスチャンから離れることがあれば、それはキリストを栄光の王座から引きずりおろすことになる。

この聖霊の内住が私たちの中にあるもののおかげではないことは、わかりすぎるほどわかっている。
それは私たちがクリスチャン生活を始めてから今に至るまで、どの段階においても変わらない。

徹頭徹尾、聖霊が私たちとともに住まわれるのはキリストの働きの変わることのない価値のおかげなのだ。
この聖なるお方の存在を疑うことで、その働きの価値をそこなうことは絶対にやめなければならない。
あなたの感情や信仰心はこの根元的な事実とは何の関係もないのだから。

それにしても私たちは、なんという聖い基盤に立っていることだろう!
「主の栄光が神の宮に満ちた」とき、ソロモンは「神は、はたして人間とともに地の上に住まわれるでしょうか」と驚いて問いかけた。

では私たちは、生ける神が聖霊の人格を通して自分たちの内に住まわれるために来られるとき、何と言うことができるだろうか。

兄弟たちよ、私は、このことが意味していることを私たちはほとんど理解していないと確信している。
もし理解しているなら、いったいどれほどの謙遜さを示すことだろう。
どれほど罪を忌み嫌い、主を恐れることに迅速で、どんなに巧妙な形の悪をも見破り、どれほど敬虔であるだろうか。

この途方もなくすばらしい事実をひたすら深く理解することで得られる聖化の効果を、誰が十分に説明できるだろうか。
私にはただ語ることしかできない。

この聖霊の内住を意識することでもたらされるものを、私たちのすべてが実際に知ることができるように祈っている。

サミュエル・リダウト


聖霊が私たちの内に住んでおられることを認識し、あがめることができさえしたら、いったいどれほどの違いがもたらされることだろう。

もしも私たちが聖霊の宮を形作っているというこの厳粛な考えをいつも抱きつづけさえしたら。
もしも聖霊が私たちの内に住んでおられること理解してすべてをゆだね、どんな情況や困難に陥っても、顔の見える友人に向かうのとまったく同じように聖霊に向かって指導や助言や指示を求めることができさえしたら。

兄弟たちよ、聖霊が内に住んでおられることを認識することで、人生における力と、奉仕における成果がもたらされるのだ。

ハーバート・ロッキヤー


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