2020年12月10日(木)の手紙

2020年12月10日(木)


『こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。』ヨハネの福音書14章9節


あなたはキリストを知っているというが、それは、人が友人を知っている、というようなものだろうか。
それとも自分がユリウス・カエサルについて知っているのと同じだろうか。

あなたがキリストを知っているのは、キリストとともに生き、主もあなたとともに生きておられるからだろうか。
それとも大都市で暮らしている人が、通りを隔てたお隣さんについて知っている程度に知っているのだろうか。
25年もそばに住んでいながら、その隣人とはただの一度も口をきいたことがないというような。

あなたがキリストについて知っている、というのはそういうことなのか。
もしそうだったら、知っていることにはまったくならない。

ああ、我が兄弟姉妹よ、主があなたとともにこんなにも長くおられるというその事実こそが、なぜあなたが主のことをこんなにも少ししか知らないのかという理由となっているのだ。

人々が地の果てからはるばる見にやってくるのに、そのそばにいる人が、それを一度も目にしたことがない、というのはよくある話だ。

ナイアガラの滝の音が聞こえるところにずっと慕らしている人は、水煙をあげてなだれ落ちる滝の光景を一度も見に行ったことがないかもしれない。

それがあなたの、イエス・キリストとの関わり方なのだろうか。
主について聞くことにあまりにも慣れてしまったので、主を知らないのだろうか。
あまりにも長いこと主のことを聞いてきたから、一度も主に会いに行こうとしないのだろうか。

アレクサンダー・·マクラレン


名ばかりのクリスチャンである我々の生活は、はなはだしく基準に達していないので、神からどんなに遠く離れて歩んでいるか、ほとんどわからない。

ひたすら神だけを求めるようにたましいを向けるとき、どれほど多くの偽りの支えに頼っていたか、どれほどたびたび他人の愛と称賛にすがって、父なる神の愛だけにゆだねてこなかったかを知って驚くことだろう。

ジョージ・V・ウィグラム


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