2020年12月1日(火)の手紙

2020年12月1日(火)


『そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。ところが強風を見て怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」』マタイの福音書14章29節〜31節


キリストがおられるから、荒れた海でも穏やかな海にいるのと同じように、平穏に落ち着いていられる。
そんな信仰を、私たちはもっているだろうか。

ペテロが水中に沈みかけたとき、問題は実際には海が荒れているとか穏やかだということではなかった。
なぜならペテロは、キリストがおられなかったら穏やかな海であっても荒れた海と同じように沈んでいただろうから。

事実は、イエスから目を離して波に目をやったためにペテロは沈みかけたということだ。

私たちは、キリストとともに進んでいくなら、ありとあらゆる困難に……多くの荒れ狂う海に、遭遇するだろう。
しかし、キリストと一つになっているなら、主によって私たちは安全に守られる。

ジョン・ダービー


クリスチャンよ、次のことを心に留めよ。
あなたを救うのはキリストであって、あなたがキリストを捕らえているからではない。

あなたを救うのはキリストであって、あなたがキリストを喜んでいるからではない。
あなたを救うのは、あなたのキリストへの信仰ですらない。
それは手段ではあるのだが。

それはキリストの血であり、キリストの働きである。

だから、あなたの希望に目をやるのではなく、あなたの希望の源であるキリストに目を向けよう。
あなたの信仰ではなく、あなたの「信仰の創始者であり完成者であるイエス」に目を向けよう。
あなたがそうするなら、どんなに多くの悪魔が束になってかかってきても、あなたを打ち倒すことはできない。

私たちの誰もが、説教をするうえで、あまりにも見えにくくしてしまうことが一つある。
といっても、決して意図的に行っているわけではないのだが。

それは、私たちが拠りどころとすべきなのは、祈りでもなく信仰でもなく、私たちの行いでもなく、私たちの感情でもなく、キリストに……ただキリストおひとりにのみ頼るべきだという偉大な真理である。

私たちは、自分が正しい状態にはないこと、私たちがすべきことは自分のことではなく、キリストのことなのだと考えなければならない。

あなたにお願いしたいのは、キリストだけを見てほしいということだ。
決して自分自身や聖職者や、キリストから離れたいかなる種類の手段にも救いを期待してはならない。

ただひたすら、あなたの目を主に向け、主の死と主の働き、主の栄光と主のとりなしを鮮やかに心にとめよう。
朝の目覚めとともに主を求め、夜に床につくときも、主を求めよう。

チャールズ・スポルジョン


救い主の働きは罪人のため、その人となりはクリスチャンのためにある。
主がなしてくださったことは罪人のため、主がどんなお方であられるかはクリスチャンのためである。

主は、永遠のいのちを与える「生ける神の子」であられる。
クリスチャン は、キリストによって神に引き寄せられるが、神によってキリストに結びつけられる。

キリストは罪人としての我々が必要とするすべてを、その働きによって満たしてくださるばかりか、その人となりによって、クリスチャンとしての我々の親愛の情や望みをもかなえてくださるのである。

C・H・マッキントッシュ


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