2020年11月26日(木)
『心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。』ヘブル人への手紙10章22節
神は、人間には理解できない隠れたお方である。
聖霊は、神の目に見えない理解不能の働きと存在である。
すべてを理解しようと求めてはならない。
神に近づこう」。
それは明晰な知能によってとは決して言ってはいない。
真心によってと言っているのである。
神が、あなたが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行ってくださることを全き信仰をもって信じ、安心することだ。
全き信仰をもってであって、全き感情をもって、ではない。
あなたが、開かれた「至聖所」に行ってしっかりと見つめ、ケルビムの間に住んでおられる主の声があなたに、中に入るように言うのを聞くとき、長い間見つめてから中に入り、そこに住むとき、真心をもって神に近づこうという声を再び聞くだろう!
あなたの答えはこうだ。
はい、主よ、心から、あなたご自身が与えてくださったあの新たな心から、あなたに近づきましょう。
あなたはおのれを明け渡し、常に主の御前で主の働きのためにのみ生きる。
再び声が語る。
さあ、今日、今、「全き信仰をもつて」それを行おう。
あなたは、主が与えてくださるものを受け入れ、主が求めるものを引き渡した。
あなたは、自分自身を明け渡したことを主が認めてくださっていると信じている。
「神の家を治める、この偉大な祭司」があなたの内なるいのちを占有し、神の御前に導いてくださることを信じている。
それなのにあなたは、なぜ自分は少しも変わっていないのだろう、まるで昔の自分のままではないか、と思うのだ。
今こそ、おのれの感情ではなく「全き信仰をもって」という声に耳を傾けるときである!
私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に目を向けよう。
「御力」に信頼しよう。
天の御座におられ、あなたを天に上げようとしているイエスを見つめよう。
五旬節の日の贈り物である「上げられた」お方の御霊を、自分のものとして求めよう。
これらのものがすべて、あなたの内に明らかにされる、神から与えられた霊的な恵みの奥義であることを忘れてはならない。
感情によらず、「全き信仰によって」、神をあがめるありのままの信仰によって、神に近づこう。
あなた自身をまさに「キリスト・イエスにあって……神に対して生きている者」、主の愛とみこころに受け入れられ、みもとにいる者とみなすのである。
アンドリュ-・マーレー
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