2020年10月26日(月)の手紙

2020年10月26日(月)


『私にみずみずしい油を注がれました。』詩篇92篇10節


霊的な健康は、私たちの「いのちであるキリスト」が私たちの全身全霊に絶えずつながっておられるときに確実なものとなり、私たちの全身全霊に主がつながってくださることは、私たちが主のみこころに同意する態度でいるときに確実となる。

そしてこのことだけが、「この方の満ち満ちた豊かさの中」で私たちを所有していただくために、キリストに対して戸を開けることができる。
ずっと戸を開けたままにしておくためには、この態度を継続するしかない。

今日の教会において、リバイバルが必要であると叫ばれているのは、この理由による。
病を追い出し、霊的な活力を一新するのはリバイバルしかない。

リバイバルは一連の福音伝道集会のことではなく、神に対して私たちのすべてを開くことである。
そうすれば、主の復活のいのちが自分たちの中に新たに注ぎ込んでくる。

一連の集会は、神に新たに明け渡す必要を私たちに思い出させるかもしれないし、リバイバルをもたらす機会にもなろう。
または教会員がリバイバルされると、自ら動かされて「失われた者」に伝道するために一連の集会をもつかもしれない。

しかし、私たちが必要としているリバイバルとは、特別な集会を増やすことではなく、自分たちの内におられる神のいのちを一新することなのである。

J・E・コナント


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