2020年10月25日(日)の手紙

2020年10月25日(日)


『また、ラオディキアにある教会の御使いに書き送れ。「アーメンである方、確かで真実な証人、神による創造の源である方がこう言われる。わたしはあなたの行いを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。そのように、あなたは生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしは口からあなたを吐き出す。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もないと言っているが、実はみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために、目に塗る目薬を買いなさい。わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。……勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせる。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。」』ヨハネの黙示録3章14節~21節


おそらく、サタンがこれまでクリスチャンに対して用いてきた中でもっとも効果的な武器は、クリスチャンを繁栄させておいて、霊的に死んでいて無関心なこの世とできるだけ親密に接触させることだろう。

そして可能ならそれに加えて、クリスチャンだと自称していながらもこの世的に生きている人たちと交際させることである。

そうすればそのクリスチャンは罪に堕ち、なぜ罪から逃れる力をもてないのか、といぶかしく思うようになる。
主が再臨する直前、口先だけの信仰告白を行う教会が最終的にはどのような状態になるかがラオディキアの人々への手紙に描かれている。

彼らは「自分は富んでいる、豊かになった、足りないものは何もない」と思っているのだ。

もしも私たちが今、このラオディキア人のような状態にあるなら、主に対して「熱くも冷たくもない」、この「生ぬるい」状態に抗い、打ち勝つように求められているのである。

サムソンが無力でペリシテ人の前で笑いものになったことは、実に哀れむべき光景であったに違いない。
それはひとえに、神に選ばれた者のあかしである髪を切ってしまったからだ。
もはや選ばれた者ではなくなったので、サムソンは無力だったのだ。

かつて主と親交をもっていたときには、みことばによる新たな生気に満ちたことをとりついでいた聖書の教師たちが、突然無力になって自分や他の人々の考えを繰り返すだけになるのを、私は何度目にしてきたことだろう。

私たちはみな、神に近づき、神に祝福された人の子を、自分の主要な喜びとしようではないか。
装った熱心さでは、主とのふれあいの埋め合わせにはならない。
みことばを食べることの代わりになるものなど、何一つありはしないのだ。

W・キニー男爵


海の魚は、塩水の中に住んでいる。
ところが魚を煮て食べるとき、魚を煮た汁には塩味はまったくない。
魚は塩の染みこんだ環境で生きてきたが、塩の味には染まらぬままでいるからだ。

それだから、真のクリスチャンはこの世に住んでいても、心に世を取りこむことはないのである。

サドゥー・スンダル・シン


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