2020年1月3日(金)の手紙

2020年1月3日(金)


『むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。』エベソ人への手紙4章15節


クリスチャンの人生は、キリストの人生である。

「私たちの」意思と責任に関するかぎり、「個人的に」キリストによって養われるべきだ。
そしてこれを行うためには、聖霊の大気の中でのみ生きるべきである。

天のパンを食べることを怠ってはならないように、毒気のある谷に降りてはならない。
人は山の高みにおいて、聖霊と絶えまない関係をもって、人生を送らねばならない。
聖霊こそがキリストの唯一の「仲介者」であられるのだから。

何年か前、イングランドで親しい友人と会ったときのことだ。
私は彼の姿を見て悲しみでいっぱいになった。
潜行性の病に冒されていて、あまり長くは生きられそうもなかったからだ。

それからしばらく間があいて、コロラドで再び会ったのだが、すぐには彼とはわからなかった。
山々の類いまれな空気が昔の活力をよみがえらせ、病が広がるのを不可能にしたのだ。

ところが彼の言うには、体調は申し分なくいいのだが、この山の高みに留まっていることが必要で、さもないとまた病気がぶりかえしてしまうのだそうだ。

私たちも、山の大気の中にいつづけよう。
もし古い谷に降りていけば、過去の麻痺状態が再び戻ってくる。
神が私たちに見ることを望んでおられる霊的な光景の見える山の高みで、聖霊の大気の中で生きなければならないのだ。

そこでは天のパンへの食欲は強まり、キリストを常食とし、自分の内に取りこむことで、「あらゆる点にお願いて、…キリストに向かって成長する」ことができるのである。

G・キャンベル・モルガン


キリストの愛に養われて生きることは、王の人生である。

サミュエル・ラザフォード


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