2020年1月27日(月)の手紙

2020年1月27日(月)


『あなたこそ私の巌 私の砦。あなたの御名のゆえに私を導き 私を伴ってください。』詩篇3篇3節


誰かがあなたのそばにいて、あなたの歩みを一足ごとに導き、この場所では足を止めさせ、別の場所では先に立って進んでくれる。
そう知ると、穏やかな畏敬の念を覚える。

その人は、スイスでいちばん有能な山岳ガイドが山道を熟知しているよりも、もっと道のことをよく知っている。
その人には、あなたにとってすべてがうまくいくようにという愛の気遣いがある。

道の分岐点にぶつかり、さらに三番目の道が枝分かれしているときも、あなたは手をさしのべてこう言う。
「イエスよ、わが主よ、ここから導いてください」と。

ゆるぎのなさと穏やかさを保つとき、そこには平安がある。

そのとき、あなたの耳に声が開聞こえる。
あまりにも穏やかなので、静寂をきわめなかったら聞き取れないほどだ。
あなたの頼をかすめるはかなげな吐息よりも、あなたの腕に触れるあるかなきかの感触よりも微かで優しい声が、言葉に尽くせぬほどの平安をともなって道を教えてくれる。

おそらく、選んだ道がやがて群衆を引き付け、人々の賞賛を得たとしても、あなたは、自分がここまで来られたのは主が導いてくださったからで、自分自身の知恵や能力のおかげではないことがわかるはずだ。

主はこの群衆に対して、ある偉大な目的をもたれることだろう。
もしかすると、この群衆を通してさらなる目的をもたれるかもしれない。

またあなたは、主のご計画を邪魔したり、実現を妨げたりすることのないように細かく気を配るようにもなる。
そして群衆が巻き上げる土挨で目が曇って主の顔が見えにくくならないように、細心の注意を払うようになるだろう。

S・D・ゴードン


神の恵みは実にすばらしいものだ。
それは強大で私たちを救い、保ち、用いて、私たちを他の人々にとっての恵みとする。

私たちは神の恵みに応えるとき、自分自身が何かとてもすばらしいものの中にいることを見出す。
それは私たちが持ちうるすべてのものをしても、決して埋め合わせることができないものなのである。

T・オースティン=スパークス


神が偉大なる才能よりもっと祝福なさるのは、主イエスに大いに似ることである。
聖さをもって伝道することは、神の手中にある強力な武器なのだ。

ロバート・M・マクシェイン


a:98 t:2 y:0