2020年1月26日(日)の手紙

2020年1月26日(日)


『幸いなことよ 喜びの叫びを知る民は。主よ 彼らはあなたの御顔の光の中を歩みます。』詩篇89篇15節


ああ、「喜びの叫び」よ!
福音の音に呼びかけられるたましいたちよ。
彼らに贈られるその音色の、なんと喜びに満ちたものであることか!

福音のトランペットはたましいに対して、ダビデの竪琴がサウルにしたのと同じ働きをした。
嘆きや悲しみや絶望といった邪悪な霊を追い払ったのである。

福音のトランペットは私たちを、神との約束に招く。
そこにおいて私たちは賛美と義とのささげ物をして、神をあがめる。

福音のトランペットは神が私たちと結んだ恵みの契約の約束という「喜びの音」を響かせる。
それは神のかけがえのない大いなる約束を私たちが求めるようにと呼びかけている。

ああ、その「喜びの音」よ!
喜び祝え、クリスチャンたちよ!

父なる神はあなたの友であり、子なる神はあなたの永遠の保証人であられる。
霊なる神はあなたの導き手であり、助け主であり、慰め主であられる。

喝采しよう、あなたの罪は赦されたのだ!

このことも考えてみよう。
御使いたちはあなたの守護者であり、あなたは神の宮である。
神はあなたの「ためには、すべてのことがともに働いて益となる」ようにしてくださる。
それは神を信じる者のための霊的な恵みである。

ああ、「喜びの音」よ!
すべてが一新する!
なんという歓喜!

神のことばが私たちを導き入れてくれる恵みは、比べようもない宝である。
その宝に導いてくれるトランペットの音は、まさに喜びに満ちたものであるはずだ!

神の福音を手にし、「喜びの叫びを知る民」は、神の豊かな恩寵を享受している。
そして、福音を信じて聖書のみことばを味わい、教会という形態をとる場所は、主の豊かな恩恵にあずかるのである。

コットン・マザー


もしもあなたが自分の信仰生活に何一つ喜びを見出せないとしたら、あなたのクリスチャン人生はどこか漏れがあるのだ。

ビリー・サンデー


喜び! 喜び! ああ、歓喜の涙! 涙よ!

ブレーズ・パスカル


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