2020年1月22日(水)の手紙

2020年1月22日(水)


『あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。』ヨハネの福音書14章1節~3節


キリストの教会には毎日、救われるたましいが加えられている。
その数は、それまでのどの年よりも多いことがしばしばある。

これらの加えられたたましいには、成長のための新たな準備が必要となるだろう。
いや、明らかに求められるはずだ。

嗜好や活動力、性癖や興味は人によってさまざまである…が、天は、恵みによって救われた何百万もの人々の一人ひとりにそれぞれ適した栄光を与えてくださる。

見よ、主が「あなたがたのために場所を用意しに行く」と簡潔な言葉で語られたときに予示されたみわざの、なんとすばらしいものであることか。

あなたが目指しているのはどのような場所だろうか。
確かに、「悪の天幕に住むよりは私の神の家の門口に立ちたいのです」と思うだろう。

しかし、ここではそのことが問題なのではない。
あなたは大使になるよりも、門番になりたいか。

地において自己と快楽と富に仕えることを選んで、天においてはほとんど、あるいはまったく役に立たない者になりたいか。
それともキリストのために全身全霊で生き、「うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし…目標を目ざして走っている」ことを選ぶだろうか。

どちらだろう?

キリストはあなたの場所を用意してくださっている。
そのために、あなたの地上の歩みを見守っておられるのだ。

ゼベダイの息子たちはキリストに、「一人があなたの右に、もう一人が左に座るようにしてください」とせがんだ。
「これを聞いて、ヤコブとヨハネに腹を立て始めた」ほかの弟子たちのまねをしてはいけない。

高い望みを抱くのはよいことだが、単に“救われる”ことだけを求めるのは卑しむべきことだ。
主が次のように弟子たちに答えられた言葉を心に留めよう。

「あなたがたは…わたしが飲む杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けることができますか」。

まさにそういうことなのだ!

私たちは一瞬一瞬、自分自身の運命を切り開いているが、すべてを決定するのはキリストのさばきの座、である。
そこでは人によって分けへだてされることはない。

それでも忠実なしもべは、人よりも高い地位と分け前を得る。
怠惰で世俗的な者も救われるが、ただそれだけなのだ。

『たましいの糧』


前もって天を見上げ、主があなたのために備えてくださっている場所を見てみよう。
天にあるあなたの父なる神の家の部屋にすべて目を通そう。

あなたの「父の家には住む所がたくさんあります」。

慎重な買い手は、土地を購入する前に下見をする。
キリストが私たちのためにすでに買い入れてくださっているとはいえ、私たちが自分たちの行く家を見ることができるのは、信仰によってである。
それも好きなだけ、たびたび見ることができるのだ。

サミュエル・ラザフォード


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