2020年1月21日(火)の手紙

2020年1月21日(火)


『御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。』ローマ人への手紙8章16節


この世界において、聖霊が内におられるのとそうでないのとでは大きな違いがある。
それは神を信じる人々の祈りに現れる。
あるクリスチャンが霊的にどのような状態にあるかは、普段の会話よりも祈りにおいてよく知ることができる。

私は、神の子供たちの何人かが、まるで貧しい物乞いのように祈るのを聞いたことがある。
物乞いがあなたの家にやってきた、と仮定しよう。
彼がドアを叩くのが聞こえる。
その叩き方の特徴から、あなたは誰が来たのかわかって言う。

「あれは物乞いだわ!」

あなたはそれが物乞いであることを知っている。
彼は固くなったパンのかけらや小銭をもらって立ち去る。

半時間ほどして、ベルが乱暴に鳴らされる。
それからドアを叩く大きな音。
開けるのが少しでも遅れたら、ドアを蹴る音さえ聞こえるかもしれない。

「あらあら!」あなたは言う。
「息子が学校から帰ってきたんだわ!」

あなたの息子は自分が百パーセント歓迎されることを知っていて、早く中に入りたいのだ。
自分を迎えるために愛が待っていてくれる場所に。

私は、神の子供の多くが、主のおられる家で百パーセントくつろぐことがどんなことかを知らない、と思っている。
「私は神の子供で、キリストが神の心のそばにおられるように、私も神の心の近くにいる。
私はそこで歓迎されていて、神は私の声を聴くことを愛しておられる。

私のために贖いがなされ、聖霊が私の内に住んでおられて、私を愛へと導き、この幸せな愛のうちに保ってくださる。
この愛が私を引き寄せてくれたのだ」というふうに、主のもとにいることがどんなことかを。

聖霊が来られたのは、キリストが私たちにとって、どれほどかけがえのない方であるかをすべて私たちの霊にあかしするためであり、また永遠に自分のものであるものをクリスチャンが今、楽しめるようにするためである。

さて、あなたはこう言うだろう。
私は天国で永遠に幸せになるのだ!と。
なぜ今、あなたは地上で幸せではないのか。

もし誰かがあなたのために、銀行に一財産遺したとする。
あなたは、自分が死んでから最初のお金を引き出します、と言うだろうか。
そんなことをするとは思えない。

むしろあなたはこう言うはずだ。
私は今すぐそれをおろしたいです、と。

『もう一人の助け主』


信仰は、あなたがどんなクリスチャンであるかを表しはしないが、あなたにどのような神がおられるかを表す。
私たちは、神から多くを得れば得るほど、より多くのものを乞い願う者となり、神はますます偉大な父となられる。

すなわち、神は私たちを、神の供給源からきわめて多くのものを取らなければならない立場にすえて、私たちがそうしないときには落胆されるのである。

A・B・シンプソン


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