2020年1月1日(水)の手紙

2020年1月1日(水)


『ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。』マタイの福音書6章34節


これからの一年に受けなければならない苦難を、薪の巨大な束になぞらえてみよう。
あまりにも大きくて、私たちにはとうてい持ち上げることはできない。
しかし神は、一度にすべてを運ぶように求めてはおられない。

慈悲深い神は薪の束をほどき、まず一本を与えてくださる。
それを私たちは今日、運ぶのである。
そしてまた一本を明日運び、そうやって毎日一本ずつ運んでいく。

これなら、たやすくやり遂げることができるだろう。
その日に定められた重荷を運ぶだけならば…。

それなのに私たちは、昨日の薪をまた今日も負い、運ぶようにといわれる前に明日の重荷をさらに加えることで、おのれの苦難を増やすことを選んでいるのである。

ジョン・ニュートン


この年の一瞬一瞬を、神にささげよう!
この一年は、一分一分の集まりからできている。
それらを神にささげられたものとして用いよう!
小さなことを聖別することによって、大きなことを確実に聖なるものとすることができるのだ。

G・キャンベル・モルガン


この新しい年に、秘められたすべての可能性と静かな勇敢な心をもって、向かっていこうではないか。
過去を心に留め未来に希望を抱く者として、自分たちの責務を果たす決意をして向かおうではないか。

私たちの中には、地上における最後の年となる者もいるかもしれない。
おそらくこの年、ある者には大きな悲しみが、ある者には大きな喜びがあるだろう。
比較的これといった波乱のない者もいることだろう。

私たちにとっての大きな外面の変化がもたらされるかもしれないし、あるいは初めとほとんど変わらぬまま年が暮れるかもしれない。

だが何があってもこの年、神はずっとおられるし、神のための働きも行われなくてはならない。

願わくは、この年の最後の時間が灰色の過去の中に流れゆくときにも、その時間が神の愛を私たちに示しつづけてくれるように。
たとえ、その時間が未来の霧に包まれていても、私たちが神に希望を置くように働いてくれるように…。

アレクサンダー・マクラレン


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