2019年9月7日(土)の手紙

2019年9月7日(土)


『ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。』コリント人への手紙第二4章16節


今週、私は臨終間近の親しい友人を寝ずに看病しました。
彼は痛みに苦しみ、心拍は衰え、目はかすみ始め、静かに床に横たわっていました。

ところがそのとき、彼に希望の光が現れ始めたのです。
外なる人が衰えていたにもかかわらず、彼の内なる人は若返り、新たにされ始めたからです。
しかし、痛みはますますひどくなり、天国に行くことさえ願い、「私はもう生きるに堪えられない」と口にしたほどでした。
しかし、しばらく考え直し、「私の思いではなく、主のみこころがなりますように」と彼は祈ったのです。

彼は痛みを我慢しながら川の岸辺に座っているように、私には感じられました。
彼は主が道を開いてくださることを期待していました。
そして「主よ、お話しください、今すぐにでもあなたが私に語りかけてくだされば、私の喜びはさらに大きくなります。
私を速やかに天国に招いてください。

主よ、お話しください。
あなたは前以上にはっきりと私の祈りを聞いてくださり、私があなたの近くにさらに近づいているからです。
私の耳は騒音と世の喧騒に対してほとんど塞がれています。
しかし、沈黙の中で、私はあなたの静かな、細い声を待っています。

主よ、お話しください。
もしあなたが来てくださり、会ってくだされば、私は何の心配もなく川に飛び込むことでしょう。
私の旅は終わり、私は今ほとんど天国にいるように感じています。
それは勝利と、栄光と、凱旋の時です」と祈ったのです。

医師は、人が死に臨むときの変化の状態を判断することができると言い、看護師も同じように言います。
しかし、信徒にとってそのときは命の変化の時であり、来るべき栄光へと入る時です。
そのとき、死に対する勝利と墓に対する挑戦の叫びが湧き起こるのです。
なぜなら、すべての不安、すべての疑い、すべての恐れに対して魂が勝利するからです。

信徒の拠りどころが千歳の岩である主キリストにあるだけではなく、ヨルダンの向こう側、天国にもあるのです。
彼は喜びをもって叫びます。
「私は主とともにいます。まもなく私は主の腕の中に迎え入れらます。
そして、私は主に出会うのです。
勝利、勝利、勝利、子羊の血によって」と。

天国への出発という喜びがあなたのもの、そして私のものとなることを、私は心から望んでいます。
あなたが主キリストのうちに憩うているのであれば、確かにそうなります。

主キリストを信頼しようではありませんか。
ただ主イエス・キリストだけを信頼しょうではありませんか。
そのとき、私たちは永遠の幸いを見いだすのです。

God Bless You!!


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