2019年9月24日(火)の手紙

2019年9月24日(火)


『それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。』エペソ人への手紙2章7節


ダビデが詩篇17篇を書いたとき、彼は明らかに非常に困難な状況の中に置かれていました。

彼は「神よ 私はあなたを呼び求めました。
あなたは私に答えてくださるからです。
私に耳を傾けて私のことばを聞いてください」と祈ったからです。

キリスト者は神によるごく日常的な、また不思議な導きによって、神から慰めをいただくことができます。
神のいつくしみは時に日常的な方法で、時に不思議な超自然的な方法で示されます。

驚くべき愛の奇跡とは、神がそれをごく普通のものにしておられるということです。
これこそが奇跡なのです。
主が「奇しい恵み」をあまりにたびたび示しておられるゆえに、それらは素晴らしい日々の祝福となるのです。

奇跡の業があまりに多く起こり、あまりに日常的になってしまったため、人の注目を引かなくなっています。
いずれ、あなたは莫大な建築費を要した非常に優れた建築物さえも見飽きてしまうことでしょう。

しかし、神の奇跡の業は常に新しく、決して見飽きることはありません。

あなたはアルプス山脈やナイアガラの滝を眺めることがあるかもしれません。
奇跡としか思えないその美しい光景を見飽きることはないはずです。

海はいつも同じではありません。
その近くに住む人たち、そして、それをいつもじっと観察している人たちは、海の中に隠されている数々の神の奇跡を見いだします。

日々私たちを祝福してくださる神は、常に慰めを与えてくださる方でもあるのです。
いつくしみに満ちた御業、あわれみの奇跡、途方もない愛、あふれるばかりの優しさを主に求めてください。
そして「キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛」を求めてください。

「神よ」と、私は主なるあなたに呼びかけました。
あなたは私の願いを聞くと約束してくださり、あなたが聞いてくださることを私は確信していたからです。
そのため、私が求めようとしていた祝福は、あなたからいただくことにすっかり慣れてしまいました。

しかし、それらを常に新しいものと思えるようにしてください。
あなたが私の願いに耳を傾けてくださることを確信しています。
なぜなら、以前にもあなたは私の願いを聞いてくださったからです。

私の願いにあなたは何度も何度も耳を傾け、私の求めをあなたは何度も何度も認めてくださいました。
それがあなたのごく日常的な習慣であると私は思っていたからです。
アーメン。

God Bless You!!


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