2019年9月2日(月)の手紙

2019年9月2日(月)


『兄弟たち。私たちの主キリスト・イエスにあって私が抱いている、あなたがたについての誇りにかけて言いますが、私は日々死んでいるのです。』コリント人への手紙第一15章31節


私は死を恐れる必要がないことを神に感謝しています。
ここ何年もの間寝床から起き上がることができず、夜になれば命が尽きてしまうのではないかと怯える日々があったからです。

日々死んでいる人たちは安らかに死を迎えることができるのです。
墓と親しくする人たちはそれが後に安らかな寝床に変えられることに気づくでしょう。

恵みの契約の中に置かれた信徒は死の意味を十分理解できるように導かれます。
死につつある人の間では、死につつある者のように生きようではありませんか。
というのは、そのとき私たちは本当の意味で生きることになるからです。

もし私たちがこの貧しい世界に永遠に住まうことを余儀なくされるのであれば、それは悲しく、残酷なことです。
しかし、刈り入れるときまでに十分に実り、それらの収穫物を我が家に持ち帰ること以上に喜ばしく、楽しいときはありません。

昼の間は喜びと感謝をもって働き、夕ベには豊かな恵みの報酬を受け取り家路につくひと時は、この上なく心躍るときとなります。
あなたが神の子であれば、死をもはや暗闇と恐怖の墓そのものと考えるのではなく、希望と栄光へと導かれる天に至る門と考えてください。

死をこのように見ることができるようにと私はお勧めします。

マラリアに感染し、あるいは何らかの病を患うことがあっても、もし私たちが神とともに歩むのであれば平安です。
詩篇に、「それは わが避け所 主を いと高き方を あなたが自分の住まいとしたからである。
わざわいは あなたに降りかからず 疫病も あなたの天幕に近づかない」

また「主は ご自分の羽であなたをおおい あなたは その翼の下に身を避ける。
主の真実は大盾 また砦。
あなたは恐れない。
夜襲の恐怖も 昼に飛び来る矢も。
暗闇に忍び寄る疫病も 真昼に荒らす滅びをも」と言われているからです。

私たちは主によって与えられた働きが達成されるまで召されることはありません。
ですから、平安のうちに憩いなさい。
すべてのことは測り知ることのできない神の知恵によって定められています。

「主の聖徒たちの死は 主の目に尊い」のです。

どんな力も主の支配の中にあります。
神はどんな敵もご自分の摂理の領域に立ち入ることを許すことはありません。
すべてのことは神によよって定められています。

私たちの死は、復活された主、救い主の特別の保護の下にあります。
主ご自身が私たちを導き、鉄の門である死を平安のうちに通過させてくださるのです。
生きている時も、死の時も主の御手の内にあることを感謝し喜ぼうではありませんか。

God Bless You!!


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