2019年9月18日(水)の手紙

2019年9月18日(水)


『しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしのカは弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。』コリント人への手紙第二12章9節


肉体が弱ることがあっても、信仰まで弱くなることは決してありません。
そうあってはなりません。
しかし、あなたの心身が強く、頑健だからといって、信仰も強いとは言えないのです。

主イエスは使徒パウロに対して、「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。

信仰を深め、強くする唯一の方法は試練を経験することです。
事が順調に進んでいるときに信仰が成長することは少ないと言わなければなりません。
むしろ、嵐の中でこそ信仰は強くされるのです。

強い信仰は、優しい露となって天から降りて来ることはありません。
それはむしろ竜巻と嵐の中で養われ、与えられるのです。

樫の老木を見てください。
なんと広範囲に、そして、なんと深く土の中に根を張っていることでしょうか。
春の風がそのことを教えてくれます。

岩の周りに根を巻き付かせるのは、静かな春の雨の力ではなく、あるいは優しい五月の太陽でもありません。
それは荒々しく吹き荒れ、木を震わせる三月の北風なのです。

優秀な船員は静かな海の上で育つことはありません。
勇敢な船員は、荒々しい風が吠えたけり、雷鳴がドラムのように鳴り響く深い海の上で育つのです。
嵐と暴風雨こそが、強くて、頑丈な船乗りたちを作り上げるのです。

詩篇に「彼らは見た。主のみわざを 深い海でその奇しいみわざを」と述べられているとおりです。

この過程こそ、キリスト者がたどらなければならない道なのです。
堅固な信仰をもつためには厳しい試練に耐える必要があります。

『天路歴程』を書いたジョン・バニャンの性格は、もし彼が、『天路歴程』の中に登場するような「苦難氏」でなかったとすれば、「寛大氏」になることはなかったでしょう。

真理に対して勇敢な人は、敵による何らかの攻撃の経験をしていなければ、その真理を守り、それを否定しようとする敵を打ち破ることは決してできません。

私たちの場合も同じです。
優れた信仰に到達するためには、それ以前に何らかの苦難を経験する必要があるのです。

God Bless You!!


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