2019年9月15日(日)の手紙

2019年9月15日(日)


『私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています。』(コリント人への手紙第二5章8節


あるとき私の人生の歩みに黒い影が落とされました。
しかし、何事もなくそこを通り抜けることができました。

私は人生に黒い影があることなど全く知りませんでした。
その理由は、別のところにあった強い光だけに目を注ぎ、悲惨な暗い影に気づかなかったからです。

私たち信徒は、主がともにいてくださることによって、数えきれないほど多くの祝福をいただいているため、死の暗い影に気づくことがありません。
私たちは平安のうちに主イエスの胸に憩うているために、この世からかの世に移るとき、それはまるでイングランドからスコットランドに行くようにしか感じないのです!

そこは完全に一つの王国であり、どちらにも同じ一つの太陽が輝いています。
鉄道旅行者は時にこう尋ねます。
「いつ、どこでイングランドを通過しスコットランドに移ったのですか」と。

そのとき、列車に特別に加速度が加わることもなく、またそこには目に見える広い境界線もありません。
どこに境界線があるかわからないうちに、一つの場所から別の場所へとすべるように移ったのです。
同じように、私たち信徒の永遠の命も休むことなく、恵みの状態から輝かしい栄光の国へと移されるのです。

トウモロコシが成長するように、私たちもゆっくりと葉から穂へと、また穂から実へと成長します。
そして、いずれ死を迎えるときを知ることになります。
しかし、そこへの道のりはあまりに早いため、そのときを予想することは困難です。

地上から天国への道筋は長い旅路のように思われます。
しかし、その道のりは目の瞬きのように短いのです。
瞬く間に死を通過します。

あのヨルダン川をあたかも乾いた地を横切るかのように速やかに通過します。
川を渡ったなどと気づくことさえありません。

私たちの肉体はしばらくの間この地上に残されます。
私たちは肉体から引き離された霊的な魂だけの存在になりますが、しかし、死を見ることはなくなるのです。
魂に必要なすべての命の源は、主イエスとともにあることによって与えられるのです。

一方、復活のトランペットの音とともに私たちの体は、私たちの魂と一つにされるときを待ち望みます。

「私たちは心強いのですが、むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています」。
これが私たちの希望です。

God Bless You!!


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