2019年9月1日(日)の手紙

2019年9月1日(日)


『最後の敵として滅ぼされるのは、死です。』コリント人への手紙第一15章26節


新しい墓の傍らに立ち、天に召された人たちを悲しむ人たちは死が敵であることをはっきりと知らされます。
死はあなたの友人をこの世から奪い去り、子どもたちを両親の腕から奪い去ってしまいます。
さらに家庭の柱、そして、心の明るさをも奪ってしまいます。

死は若者に同情を、高齢者にあわれみを示すこともありません。
さらに、善人にも、美貌に恵まれた人にも敬意を示すことさえありません。
死という大鎌は美しい花と、有害な雑草をもたちどころに同時に刈り取ってしまうのです。

死は私たちの庭園に入り込み、百合の花を踏みつけ、バラの花を散らしてしまいます。
葉の下に隠れている最も目立たない花さえも見つけ出し、その熱い息で枯らしてしまいます。

死は私たちの恐ろしい敵なのです。

しかし「最後の敵として滅ぼされるのは、死です」。
実に心強い御言葉です。

なぜ聖徒たちは死ぬのでしょうか。
なぜなら「血肉のからだは神の国を相続できません。
朽ちるものは、朽ちないものを相続できません」と言われているからです。

天国に行く前に、私たちの体はそこに入るにふさわしいものに変えられなければなりません。
死と墓は精錬の場であり、将来祝福を受けるにふさわしい体を作るための炉なのです。

ボートが清らかな天に到着できるように、死がそのボートをつないでいるロープを切り離します。
死は天に昇って行く火の戦車です。
死は偉大な王の優しい声なのです。

私たちは、霧と雲にすぎないこの地からはるかに離れて、鷲の羽に乗って永遠に安らかで輝かしい神の国へ向かって飛び去ります。
ですから死ぬことは死ではないのです。

God Bless You!!


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