2019年8月22日(木)の手紙

2019年8月22日(木)


『ですから、みなさん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。』使徒の働き27章25節


私は神を信じています。
激しい風が吹くときに神を信じること、あるいは、あなたを貧り食おうとする野獣のように波が荒れ狂うときであっても、神を信じること、これ以上に崇高なことはありません。

私は神を信じています。
嵐に立ち向かうことのできる信仰こそ純粋な信仰です。

信仰の普通の歩みは順調なときの信仰です。
そのような信仰は穏やかな海面に映った美しい光景を見ることだけを好みます。
しかし、順調なときだけの信仰は嵐の暗雲がその力を発揮しようと空一面に密集すると、たちまち消えてなくなるのです。

神の選びの民の信仰とは、暗闇の中でもしっかりと先を見通すことのできる信仰であり、また、混乱の中にあっても心を騒がすことのない信仰であり、あらゆるものが真夜中のように暗闇であっても、最も明るく輝くことのできる信仰です。

信じるものがほかに何もないときであっても、「私は神によって信じています」と使徒パウロは告白しませんでしたか。

また、「私のたましいよ 黙って ただ神を待ち望め。
私の望みは神から来るからだ。
神こそわが岩 わが救い わがやぐら。
私は揺るがされることがない」、

あるいは
「神はわれらの避け所 また力。
苦しむとき そこにある強き助け。
それゆえ われらは恐れない。
たとえ地が変わり 山々が揺れ 海のただ中に移るとも。
たとえその水が立ち騒ぎ 泡立ってもその水かさが増し 山々が揺れ動いても」と言われているではありませんか。

神は今も生きて働いておられます。
私の魂よ、
神を信頼し、困難を恐れてはなりません。
巨大な天球が粉々に砕けるかもしれません、
丸い地球が破滅するかもしれません、
悪魔の怒りが妨害するかもしれません。
死と地獄が
最悪の時を迎えることになるかもしれません。
しかし、どんなときも、
神は確かに平安のうちに守ってくださいます。
それなのに、魂よ、なぜ絶望するのか。
難破の危険のあるときであっても、
神はそこにもおられるのです。

God Bless You!!


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