2019年7月13日(土)の手紙

2019年7月13日(土)


『イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。」』マタイの福音書17章20節


あらゆることがあなたに敵対するとき、信仰はかえって強くされます。
試練が与えられるたびに、その信仰は増し加えられるのです。

氷河のはずれに咲いている花ほど見事に青色を帯び、素晴らしく見える花はほかのどこにも見いだすことができません。
極地できらきらと輝く星ほど明るくはっきりと見える星はほかにありません。
砂漠のオアシスに湧き出る水ほど新鮮で美味しい水はどこにも見いだせないのです。

逆境の中でも生き生きとして勝利を勝ち取れる信仰ほど尊い信仰はありません。

試みられた信仰は人生の経験を豊かにし、深めます。
そして、その経験は信仰を真実のものとします。
あなたは罪の苦さと赦しの素晴らしさの両方を感じることがなければ、その両方の内容を真実の意味で知ったとは言えません。

流れの早い川を渡ることを強いられなければ自分の弱さを知ることは決してありません。
そして、深い川の流れの中にあっても支えられていることを感じることがなければ、神の力を知ることは決してないのです。

個人的に経験されていない信仰について語ることは全くの絵空事でしかありません。
経験に基づいていなければ、深くて豊かに経験した人と同じょうに人生について積極的に語ることはできません。

以前、私が牧師としての働きを始めたころ、私は試練の真っただ中にあっても神は真実であることについて説教しました。
そのとき、後ろの席に座っていた敬愛する牧師である祖父が、突然講壇の私のところにやって来て、

「お前はこのことを理論的な問題として説教することはできるだろうが、私は経験からそのことを話すことができる。
これまで非常に苦労をして神の御業を行ってきたからだ。
私はその中に主の大いなる御業を見いだすことができたし、困難な中にあっても奇跡の働きを見てきたのだ」と、耳元でささやいたのです。

「船に乗って海に出る者 大海で商いする者 彼らは見た。
主のみわざを 深い海で その奇しいみわざを」とあるように、確かに大きな試練を通って来た人の証しの中には力強さがあふれています。

信仰が試練によって訓練されるとき、その信仰は以前より確固不動のものとなり、さらに強い確信が与えられ、そして、高められ、成長するのです。

試練の中にあっても神をほめたたえなさい。
そうすればあなたはますます神の祝福を受け、ついにはその信仰は山をも動かし、何事も不可能なことはなくなるでしょう。

God Bless You!!


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