2019年5月8日(水)の手紙

2019年5月8日(水)


『狼は子羊とともに宿り、豹は子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜がともにいて、小さな子どもがこれを追って行く。』イザヤ書11章6節


親愛なる友よ、あなたは今何らかの苦難を受けてはいませんか。
もしそうであれば、その苦難があなたの門口に神の慈愛を届ける祝福の黒馬であるようにと祈ります。

神がある人を扱えば扱うほど、その人がますます悪い状態になっているのを目にすることは本当に悲しいことです。
一方、人は試練に襲われると、かえって主に心を向けることがあります。

深い川にはまり込んでしまったかのように感じるとき、食べるパンもないとき、あるいは体が病に蝕まれるとき、特に子どもたちが何らかの苦難の中にいるとき、人は神について真剣に考え始めます。

しかし、このような試練の中での神による訓練は、むしろ幸いなことなのです。
もし試練がその人たちの心を悔い改めへと導くのであれば、苦難は歓迎すべき恵みです。
というのは、悔い改めは罪の赦しを求め、見いだすようにと人々を導くからです。

聖書は、「王室の役人」の苦悩について記しています。
彼が心から愛した子が、ひどい病に襲われました。
王室の役人は子どものために、知られるかぎりすべての治療を施し、名医と言われるあらゆる医師に診てもらったことは確かです。

そんなとき、カナで水をワインに変え、多くの奇跡を行ったというナザレのイエスのことを耳にしたのです。
最後の望みを託し、必死の思いで主イエスのところに向かいました。
愛する息子が死の床に横たわっていなければ、この役人は主イエスを求めることなど考えも及ばなかったでしょう。

御使いによってなされるよりも素晴らしい業が、子どもたちによってなされることがしばしば起こります。
というのは子どもたちが、時にその両親を神と天国へと導くことがあるからです。
子どもたちは、私たちにとっては心の慰めです。
その彼らが苦しむのを見るのは耐えがたいことです。

私たちは「神よ、わが子に鞭ではなく、慈愛を注いでください」と祈ります。
多くの人の最初の祈りは、愛する子どもたちが悲しみに遭遇したときにささげられることが多いと私は推測します。

しかし「小さな子どもがこれを追って行く」と記されていませんでしたか。
これが王室の役人に起こったことです。
彼は苦難を受けたことによって、また、子どもに対する不安によって主イエスのもとへと導かれたのです。

God Bless You!!


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