2019年5月31日(金)の手紙

2019年5月31日(金)


『平穏な地で安心して過ごしているのに、どうしてヨルダンの密林で過ごせるだろうか。』エレミヤ書12章5節


今日は、「神を愛する者たちに約束された、いのちの冠」について思い巡らすことにします。

私たちにはいずれ愛する人たちと別れる時がやって来ます。
そのとき、だれもが涙を流すことでしょう。
しかし、私たちには天からの無上の喜びが与えられるのです。

死の床が王座となり、私たちはそこに座り、主キリスト・イエスとともに治め、ヨルダン川を命の川の支流であると認めることでしょう。
私たちは、足はまだヨルダン川の冷たい流れの中にあっても、すぐにその川のほとりにあるベウラの地(夫を持つ者)、安息の地に住みつくのです。

そして、恵まれた地について賛美をささげ、そこで御使いたちの清らかな歌声を耳にします。
そこでは、天からのそよ風が小川の流れを越えて、その歌声を運んでくれるからです。

私の心は天の王座におられる神とともにあります。
そこでは、病に襲われることもなく、途絶えることなく神の声が聞こえます。

急ぎなさい。
そして、空蝉のこの世を離れ、神の国へと進みなさい。

これが、私たちがヨルダンの密林で何をなすべきかについての答えです。
私たちは今身に着けている衣服を脱ぎ捨て、天に用意されている衣服を身に着けることになります。

捕囚の民が解放を待ち望むように、あるいはガレー船の奴隷が過酷なオールから解放されることを願うように、私たちも栄光と不死を願い、この地上からの解放を待つのです。

主イエスは私のものです。
ですから、私は衣服を剥がされることを恐れません。
むしろ喜んでこの土の衣服を脱ぎ捨てます。

主にあって死ぬことは慰めであり、それは大いなる祝福の時です。
なぜなら、主イエスはご自身の死によって、私たちのために栄光への道を開いてくださったからです。

God Bless You!!


a:114 t:1 y:0