2019年5月25日(土)
『見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。』イザヤ書49章16節
神のひとり子、主イエス・キリスト、そして、あなたの兄弟である方があなたがた神の民を忘れることなどあるでしようか。
考えられないことです。
主は私たちと同じようになられました。
主は、私たちと同じように試みを受けて苦しまれました。
ですから、あらゆる点において私たちの弱さに同情することができる方です。
主は私たちの名を手のひらに刻みつけてくださっています。
そして、私たちの城壁はいつも主の前にあるのです。
十字架につけられた方のお顔をじっと見つめてください。
その方が、私たちに全く何の関心ももってはおられないなどと信じられますか。
そんなはずはありません。
主イエスは、神の民が受けている試練に無関心であることは決してありません。
主キリストが天から私たちのところに来られたのに、今はあなたに無関心であると、あなたは考えますか。
主が三十年余りの間この地上に生き、あなたがたを救うために労苦し、汗を流されたのに、今は、あなたを見捨ててしまったなどと思いますか。
あなたのために血の汗を流してまでゲッセマネの園で恐怖のときを耐えてくださったのに、あなたに何の関心も示さないなどと信じられますか。
主が父なる神のすべての怒りをあなたのために負われたのに、主があなたの救いを取るに足りないことと考えておられるのでは、などと思いますか。
主が墓に葬られた後、三日目によみがえり、垂れ幕の中に入り、さらに神の前であなたの罪を執り成してくださったのに、そのような主があなたに対して真実の愛をもってはおられない、などと信じることができますか。
もし主キリストがあなたのために働いてくださったことが、あなたに何らの確信も与えることがないとすれば、主キリストにこれ以上、いったい何を求めることができるというのですか。
「大水もその愛を消すことができません。奔流もそれを押し流すことができません」。
この豊かな神の愛を信じてください。
God Bless You!!
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