2019年5月2日(木)の手紙

2019年5月2日(木)


『生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。』伝道者の書3章2節


神は私たちの死の時を定めておられます。
この地上で永遠に生きることを夢見るのは無駄なことです。
主がお戻りにならないかぎり、死はだれもが迎えなければならない現実です。

もし私たちが召される前に主がお戻りになった場合には、「生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです」。
このことが実現するのです。

この地上にあっては、さまざまな病が私たちを待ち伏せし、私たちに襲いかかり、滅ぼそうとしています。

しかし「主は ご自分の羽であなたをおおい、あなたは その翼の下に身を避ける。
主の真実は大盾 また砦。
あなたは恐れない。
夜襲の恐怖も 昼に飛び来る矢も。
暗闇に忍び寄る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。
千人が あなたの傍らに、万人が あなたの右に倒れても、それはあなたには 近づかない」のです。

なすべき働きが終わるまで、私たちは死ぬことはありません。
その後、天の家へと招かれるのです。

たとえ、果たすべき義務のために危険な状態に陥っても、たとえ感染症の病人を看護しなければならないとしても、ひるんではなりません。
あなたは死の矢筒から迷い出た矢によって死ぬことはありません。
ただ、神のみがあなたの息を支配できるのです。

しかし、死が偶然に起こることはありません。
死の時は天の神の慈悲深い意志によって決定されているからです。
ですから、死を恐れてはなりません。

あるいは自暴自棄になって、理由もなしに危険に飛び込み、死を招き寄せることがあってもなりません。
それはばかげたことです。

しかし、それでも、神の声があなたを危険な状態に招き寄せることがあれば、死との遭遇を決して恐れてはなりません。

もし主イエスの父なる神がすべてのことを整えておられるのであれば、友人たちが時ならぬ時に死に至ることはありません。
主にある信徒は定められた時より前に召されることもないのです。

神は果実の収穫の時を定めておられます。
あるものはまだ早春なのにすでに甘く、主によって早々に収穫されます。
そして、他のものは夏の果物のように、まだ十分熟していないのに収穫され、あるものは秋の成熟の時まで残されます。
それぞれが時期にかなって収穫されます。

神は始まりと継続、そして、あなたのこの世の命の終わりの時をもすべて定めておられるのです。
これが私たちにとっての慰めです。

God Bless You!!


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