2019年5月12日(日)の手紙

2019年5月12日(日)


『彼らはそれぞれ、風を避ける避け所、嵐を避ける隠れ場のようになり、砂漠にある水の流れ、乾ききった地にある、大きな岩の陰のようになる。』イザヤ書32章2節


あなたを取り巻く環境が乾ききってはいませんか。
あなたは裕福ですか。
裕福な社会はたいてい、花崗岩の丘のように乾ききっているものです。
富と福音が両立することはめったにないからです。

あなたは貧しいでしょうか。
信仰の豊かでない人にとって、貧困とはそこから何も生み出すことのできない、乾いた地そのものです。

あなたは事業に携わっていますか。
事業上の問題が、その心を何度干上がらせたことでしょうか。
失敗と苦難の中で朝早く起き、夜遅くまで骨折り働くことは、乾ききった地に住んでいる状態と同じことです。

あふれるほどの主キリストの愛を感じることができるのは喜ばしく、また幸いなことです!
これはまさに豊かに流れる水路があるのと同じことです。

真実の信仰とは、金銭を失いつつあるときも、小切手が不渡りで戻って来たときも、銀行が破産したときでさえも、主キリストを信じることができることです。

妻が病のときでさえ主キリストを信ずることができ、あるいは子どもが埋葬されるときでさえ主キリストを信じ、頭痛が激しいときでさえ主キリストを信じ、さらには弱くなった肉体がさらに飢えに苦しむときでさえも主キリストを信じることができるとすれば、それ以上に幸いなことはありません。

厳しい試練を経験することがなければ、主キリストの素晴らしさを味わうことはできません。
あなた自身の空虚さを認めることがなければ、主の豊かさを知ることはできません。
あなたが低くされることによって主キリストは高められ、主から離れることによってあなたがますます貧しくなると感じることが知恵となるように、と私は祈っています。

主キリストにあって自分のものとなっている、値がつけられないほどの宝を、あなたはますます深く理解できるようになるでしょう。
そして、あなたが自らを小さい者と自覚すればするほど、主キリストは非常に近い存在となるでしょう。

主キリストは「砂漠にある流れ」です。
また「わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」と言われる方です。

God Bless You!!


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