2019年5月1日(水)の手紙

2019年5月1日(水)


『空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。』伝道者の書1章2節


二つの世界、二つの領域の最も良いところを最大限に活用することによって、多くの益が与えられます。
しかし、もし貧しいこの世界が別の世界の光によって照らされることがなければ、そこからは何も生み出されることはありません。

そうでなければ、たとえ最良の状態であっても、私たちの歩みは貧しく色あせたものになってしまいます。

というのは、私たちは木の葉のようにしおれるからです。
もし私たちが次の世界をしっかりと見つめて生きるのでなければ、この現在の歩みから多くの価値あるものを生み出すことはできません。
また、腐ったぼろきれのような時間と感覚に支配されているこの世界が、キリスト者が身に着けたいと願っている衣装に作り変えられることは決してありません。

それと同時に、私たちの歩みが、時に陥る醜い状態に驚いてはなりません。
この地上の歩みは結局、「あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です」と言われているからです。

架空の存在にすぎない女神を胸に抱きしめようと願ったり、実体のない雲に欺かれた人のように喜びすぎたりしてはなりません。
力なく漂う霧が消えるのを悲しみ、涙を流しても何の値打ちもありません。
喜びは束の間で笑みを注ぐにも値しないのです。

賢明な人は、虚栄や霧のようなものを重んずることはありません。
子どもであれば、管から出るシャボン玉を喜ぶかもしれません。
しかし、子どもじみたことを捨てた大人は、この世のことによって心を動かされるべきではありません。

シャボン玉のようなものは、子どもを喜ばせるものというよりも、輝きのない、実体のない泡でしかないのです。

伝道者は「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空」と嘆きます。
弱い光は目の前に緩やかに灯しておきましょう。
それらは、ただかすかに煌めいているだけであり、すぐに消えてしまいます。

ですから、永遠なるものに思いを向け、それをしっかりと手に入れなさい。
移り行くものは緩やかに手に持ちましょう。
永遠の宝石はすべてのものが滅びることがあっても、やがて私たちが身に着ける冠の中で、最も鮮やかにいつまでも輝くのです。

この世の歩みの些細なものは、子どもが牧場で摘む草花のようなものでしかありません。
それらは家に持ち帰るその途中で、たちまち枯れてしまうのです。

God Bless You!!


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