2019年4月24日(水)の手紙

2019年4月24日(水)


『財産は御怒りの日には役に立たない。義のわざは人を死から救い出す。』箴言11章4節


キリスト者が富むことを許される場合、その恵まれた境遇の中にも、信仰の試みが隠されていることを忘れてはなりません!
これは最も厳しい摂理的試みの一つです。

ある人は貧しさのために人生を誤ります。
しかし、私は富のために人生を誤った人を多く見てきました。

神の恵みによって他の人より長く、そして、多くの繁栄を許されている人たちは、親しい信徒の仲間とともに、お互いがさまざまな意味で主にあって支えられ、守られるように、特別の祈りをささげるべきです。

ぬかるみの道は歩くのに困難が伴います。
そこに一歩足を踏み入れると、泥土がこびり付き、足を取られ、つまずくこともあるからです。
同様に、そのような道を通って天国へ向かおうとすれば、困難が伴うことは必然です。

もし私たちが富に執着することがなければ、それによって害を受けることもないでしょう。
しかし、金銭には多くの魅力が隠されていることもまぎれもない事実なのです。

富を持っていないあなたは、日々与えられる幸運の中にあっても試練に遭うことがあるかもしれません。
家庭での慰め、愛する妻、可愛い子どもたちがあなたを信仰によって歩むことより、目に見えるものによって歩むようにと誘惑するかもしれないからです。

健康状態が良好であること、健全な心をもっていること、あるいは友人や親戚からのさまざまな援助が、あなたを自信過剰へと導き、神から引き離してしまうことがあるのです。

暗闇の中にいることは(完全な暗闇の中ですが)、信仰にとってはかえって幸いなことです。
そのとき、何事も肉の目によって見ているのではなく、まさしく信仰の目によって見ていることを確信できるからです。

暗がりの中に追い込まれることは試練の一つです。
しかし、試練のないことが、いつもこの世の光を受けていることではありません。

私たちは肉的、この世的な慰めの光を神からの慰めの光と錯覚する傾向があります。
ですから、神の光を受けることのない人生が、どのような歩みになるかについて深く考えることは賢明なことです。

God Bless You!!


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