2019年4月15日(月)の手紙

2019年4月15日(月)


『もし あなたのみおしえが私の喜びでなかったら、それなら私は 苦しみの中で滅んだでしょう。』詩篇119篇92節


読者の中には今悩み、苦しんでいる方がいるかもしれません。
私はそのような人たちに語りかけている可能性があります。
もしそうであれば、そのような口出しは個人への干渉だと当人は考えるかもしれません。

ですから、私はそうならないように努めるつもりです。
というのは、もしそうなれば、その人の悲しみをかえって増し加えることになりかねないからです。

私が悩み、苦しみということばを用いているのは、あることを重要視するための表現です。
それは特有の色合いをもっています。
同情心、あるいは沈黙によって、私自身がより強く心を動かされるかどうかは、私にもわかりません。

そのようなことばの響きを耳にすると、会ったこともない見知らぬ人であれば、その同情心に感動するかもしれません。
しかし、友人であれば慎重に悲痛を隠しているその心の秘密まで詮索することになるでしょう。

詩篇記者が伝えようとしているただ一つのことは、「もし あなたのみおしえが私の喜びでなかったら、それなら私は 私の苦しみの中で滅んだでしょう。
私は決して あなたの戒めを忘れません。
それによって あなたが、私を生かしてくださったからです」ということです。

これが悩みによる痛みを和らげ、魂を強くするための処方箋です
もし真剣な黙想が神の御言葉による豊かな慰めへと、また喜びへと導かれるものでなかったとすれば、この詩篇記者は苦悩の中で滅びたかもしれないことを十分にわかっていたのです。

いずれにしても、あなたも私もキリスト者としての歩みの中へと忍び込んでくる多くの悲しみによって同じような精神的、霊的な苦しみにさらされるかもしれません。
天国に至る道の途中には、多くの泥沼のような危険な場所があります。

この詩篇記者がどのようにしてこの場所を通り過ぎたかを真剣に探究することは有益であり、賢明なことです。
私は、信徒の方々がどのようにして主の慰めを受けることができるようになったかを知りたいと願っています。
というのは、そのことが私の励ましともなるからです。

私は主によって囚人の足枷が解かれた、という単純な出来事に特に興味を惹かれます。
感謝をささげる嘆願者の賛美の歌に加わることは、この上ない喜びとなるでしょう。
主はそのような賛美に必ず耳を傾けてくださいます。

God Bless You!!


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