2019年3月28日(木)の手紙

2019年3月28日(木)


『あなたは私の避け所、敵に対して強いやぐら。』詩篇61篇3節


たとえ、隣人が私たちを見捨てることがあっても、神は決して見捨てません。
これは驚くべきことです。
罪赦された者の一人一人に対して、主は「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われます。

人はしばしば間違いを犯します。
友人が貧しくなると、多くの人は彼を見捨てます。
何という残酷な悲劇でしょうか。
そのような人とは知り合いにならないことが賢明です。

着るものが華やかな人に対して、自称・友人は親切に接します。
しかし、衣が擦り切れてくると、目をそらし、離れて行きます。
これはよく見られる悲しい現実です。

同じテーブルに着いて、寛大なもてなしを受けると、人は突然百年来の友人になります。
しかし、もてなしを与えた人が困窮に陥り、助けを求めてドアを叩いても、無情にも知らないと言われて追い払われます。

状況は変化し、かつて豊かだった人は今や忘れられてしまいます。
実際、そのような人は自分を見捨てるような友人を持ったことは不運であった、と考え、多くの場合自分自身を蔑みます。

しかし、自分のことをただあわれむことだけに心奪われると、隣人への同情心は消え失せてしまいます。
何百、何千、いや何万という事例を見るまでもなく、隣人が金銭的に困難に陥るやいなや、偽りの愛を持った人は立ち去ります。

マンションからあばら家に住まいを変えると、永遠の友情を約束した間柄であっても、その友情は突然に消えてしまうのです。

しかし、信徒のみなさん、神はあなたがどんなに貧しく、どんなに卑しくなっても、あなたを見捨てることは決してありません。
むしろ乏しいことがあなたを豊かに育む糧となります。

あなたは必需品を備えるために、多くの人とともにつらい労働に従事することになるかもしれません。
時に何度も、さまざまな思いをもって自分の人生を振り返ることでしょう。
そして、どのようにすれば現在の困難を乗り越えることができるかを考えることでしょう。

しかし、たとえすべての友人があなたに背を向け、秋の葉が落ちるように知人が離れて行くことがあっても、あなたは神の恵みによって確かな避け所を見いだすことができるのです。
他の人からの援助が閉ざされる場合であっても、神は、いつくしみとあわれみの中で御手を差し伸べ、心を貧しくする者を助け、救ってくださいます。

God Bless You!!


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