2019年2月22日(金)の手紙

2019年2月22日(金)


『もし、彼らが鎖で縛られ、苦しみの縄に捕らえられたら、』ヨブ記36章8節


親愛なる友よ。
疑いと恐れは病のときよりも、むしろ元気に労働と仕事に従事しているときに起こるのです。

どのようにしてそのことに気づくかはわかりません。
パウロは「私が弱いときにこそ、私は強いからです」と言います。

苦難に遭遇することを想像すると、多くの信徒は沈黙状態となり、主に対する思いは息苦しくなります。
ところが、摂理の導きによって実際に活動力が削がれ、行動の自由が奪われると、主に対する熱意が湧き起こることがあるのです。

こうして、彼らの信仰は復活し、希望が再び湧き上がり、愛が燃え始め、危機の中にあっても神を大いにほめたたえるようになります。

親愛なる友よ。
苦難があなたがたを地上につなぎ留めている束縛から切り離してくれることに気づいていますか。
主なる神があなたの子どもを天に召されるとき、あなたをこの地上に結びつけている鎖は弱くされ、かえって、あなたを天に引き寄せる別の強い鎖が現れます。

金銭が不足し、仕事がうまくいかなくなると、私たちは祈り会や、祈りのための部屋に足繁く通い、そして聖書をよく読み始めます。
試みに遭うと、私たちは世を厭うようになります。

すべてが順調に進めば、私たちはこう言い始めることでしょう。
「もう安心だ、何も心配することはない」と。
しかし、物事がうまくいかなくなると、多くの人たちは早く天国に行きたいと望むようになります。

木が揺れ動くと、鳥たちは飛び去ります。
地上的なものへの執着から私たちを解放してくれる苦難は、むしろ幸いを生み出す源でもあるのです。

病の床での激しい痛みから解放された後、すぐに人生が希望に満ちたものになるとは限りません。
そのため、あなたは「私をこの世から去らせてください」と願うようになるかもしれません。
そして「私のたましいは主の大庭を恋い慕って、絶え入るばかりです。
私の心も身も生ける神に喜びの歌を歌います」と、なぜダビデが叫んだかを理解できるようになるでしょう。

私たちの肉体そのものに神を追い求めさせることは困難です。
しかし、もしあなたが自分の肉体に一層圧迫を加え、苦痛を覚えながらもさらに酷使するなら、愚かで、しかも死ぬべき肉体は、痛みと病から解放されてこの世から立ち去りたい、痛みも病もない世界に移りたいと叫ぶことでしょう。

そして「なんと幸いなことでしょう。
あなたの家に住む人たちは。
彼らはいつもあなたをほめたたえています」と告白するでしょう。

God Bless You!!


a:148 t:1 y:0