2019年2月19日(火)の手紙

2019年2月19日(火)


『私の皮がこのように剥ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る。』ヨブ記19章26節


希望にあふれた人の人生は高められます。
そして、その希望は人生の歩みにおいて大いに励みとなり、最後にやって来る死の床は主の栄光によって豊かに飾られます。

約束の実現を望み、信じ、そして、心にそれを感じつつ死の床に就くことができるとすれば、何と幸いなことでしょうか。

侘しいあばら家を想像してみることにします。
星が現れると、屋根の隙間からその輝きがちらちらと目につきます。
ベドカバーは擦り切れ、しかも部屋の様子は極貧の様子を示しています。

しかし、それにもかかわらず、そこに横たわっている人は、「私は知っている。
私を贖う方は生きておられ、ついには、土のちりの上に立たれることを。
私の皮がこのように剥ぎ取られた後に、私は私の肉から神を見る」と告白することができるのです。

復活の約束と来るべき命の約束を喜ぶことのできる人は、平安のうちに息を引き取り、その人の床はそのとき、王座に変えられます。
彼らの部屋は、小さく、みすぼらしくはあっても、宮廷の一室へと変えられます。

以前は貧しく見えた神の子、キリスト者は今や天の家族の一員とみなされ、世界が造られる前から指定された遺産をただちに所有することになるのです。

そうです、約束への希望は、私たちの心への影響力において非常に貴重なものです。
それが私たちの魂にとって測り知れないほどの価値があり、それゆえに、尊いものであることは当然のことです。

長い信仰生活を送るなかで、私たちの心には数多くの聖書の御言葉が刻み込まれました。
またどんな人も心が震えた出来事を秘めた宝として持っているはすです。

ある母親が、羊毛製の小さな靴を眺めるために秘密のタンスのところに行き、そこに座り、何時間も泣いている様子を目にしたことがあります。
その靴を履いた小さな足は、今は埋葬された小さな棺の中に動くこともなく横たわっています。

また、指につけた小さく素朴な金の指輪を眺めていた友人を覚えています。
それを眺めていたとき、彼は涙を流していました。
過ぎ去った幸せな日々に、愛する人の指にその指輪がはめられていたことを思い出していたからです。

まさにそういう意味で、神の約束はこの上なく豊かであり、そして、家族が残してくれた思い出と、また個人的な苦難と恵みと深く結びついているゆえに、それらはことばでは言い表しようもないほどに尊いのです。

God Bless You!!


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