2019年2月18日(月)の手紙

2019年2月18日(月)


『見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも私の道を神の御前に主張しよう。』ヨブ記13章15節


私たち信徒は禁欲的であることを求められているわけではありません。
というのは、私たちは神の恵みによってすでに石の心が取り除かれているからです。

試みに耐えなければならないとき、だれもが苦しみを感じます。
厳格で、感情に動かされないことを求められる必要はありません。

というのは、そのような状態で、神の恵みが効果的に働くことはないからです。
試みに耐えることができるために、神は私たちを強くしてくださるのです。

しかし、神はさらに困難な試練を用意しておられます。
私たちはそれにも耐えなければなりません。
恵みによって私たちは忍耐と従順の心が与えられます。
しかし、禁欲を強いられることはありません。

私たちには感ずる力が本能的に与えられています。
そして、この感ずる力によって多くの益を得ることができます。

神から厳しい懲らしめを受けても、弱音を吐くことのない人を多く見かけます。
また、神からの攻撃を受けても、決して屈服しない人が少なからず存在します。
そのような人になるべきだということでもありません。

ヨブが後に神をほめたたえたとはいえ、あの大いに悩み、苦しんだヨブの心を共有したとしても恥じる必要は何もありません。
祝福された族長たちを苦しめた悲痛な心と魂の苦悶を彼らと同じように感じ、あるいは、経験しても恥じる必要は何もないのです。

親愛なる友よ、深い苦しみによって打ちのめされることがあっても、神を拝しなさい。
ダビデのことば、「あなたがたの心を 神の御前に注ぎ出せ。
神はわれらの避け所である」ことを忘れないでください。

悲しみの重荷のために押し潰されそうなときであっても神を崇め、ほめたたえなさい。
神の意志に完全に従うとき、ヨブとともに「見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも私の道を神の御前に主張しよう」と告白しましょう。

このような礼拝をささげるとき、意志は抑制され、感情は高められ、心と魂全体が揺り動かされるのです。
そして、聖別された状態であなたは神へと導かれるでしょう。

このような礼拝によってあなたの悲しみは和らげられ、そして、あなたの心に突き刺さっている棘は取り除かれます。

God Bless You!!


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