2019年2月15日(金)の手紙

2019年2月15日(金)


『私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』ヨブ記1章21節


肉体的痛みによって心の中の最も深いところにまで影響を受け、鬱になってしまうほど苦しむ人、また経済的に大損害を受け、何もかも奪われ、塗炭の苦しみを味わっている人は世の中に数えきれないほど存在します。

このような問題のために主に対して不満をもってはいませんか。
そうでないことを私は願っています。
実は、主はあなたにとって余分と思われるものをあなたから取り除き、あるいは、時に最も良いと思われる枝まであなたから切り落とそうとしておられるのです。

そのことが、あなたにはナイフによって絶えず傷つけられているように感じられます。

しかし、愛する主が聖なる目的をもってこのことを引き起こし、そのすべての悲しみを与えておられると考えるべきです。
あらゆる傷、さらに深い傷もそうです。

もしこのことが真実であれば、あなたが心から「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言えるまで、口を閉じ、沈黙していてください。

最近、私は友人である秘書とともに庭の片隅に座っていました。
二人とも健康にも十分恵まれ、主のあわれみを豊かに受けていました。
私たちは幸いにも神のことばを読み、瞑想することができ、この上なく幸いな時間を過ごすことができました。

ところが数日も経たないうちに、私は体を動かすことができなくなるほどのひどい痛みに襲われました。
さらに悪いことには、友人は妻から離婚を求められたというのです。
しかし、これらのことの中にも主からの豊かな慰めが隠されていることを忘れてはなりません。
なぜなら、それらのことをしておられるのは主なる神だからです。

庭の一番美しいバラの花が枯れてなくなりました。
だれがそうしたのでしょうか。
ほんとうの庭師であられる神です。
神がそれを植え、見守り、そして生長させ、花を咲かせてくださっていたのです。

しかし今、神がそれを摘み取られました。
そのことを嘆くべきでしょうか。

いいえ!
そうであってはなりません。
主が来て、私たちの庭にある最も美しい花を摘んでくださることを、むしろ大きな喜びとしなければなりません。

愛する者を失い、悲しみ、苦しんではいませんか。
いつかあなたの庭の片隅に主が来られることを忘れないでください。
主は必要と思われるときに、ご自分が植えた花を摘むためにあなたのところに来られるだけです。

たとえ、あなたが自分でそうできるとしても、主がそうなさるのをあなたは防ぐことができますか。
主は与え、そして取られる方なのです。

God Bless You!!


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