2019年2月14日(木)の手紙

2019年2月14日(木)


『私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。』ヨブ記1章21節


信仰の試練は普通の場合、苦難や不幸という形でやって来ます。
ねたみ深い神は、私たちが心からご自分を愛しているかどうかを確かめるために、さまざまな方法で私たちを試みることがあるのです。

あなたは「主イエスよ、私はあなたを愛します。あなたは私が最も愛するお方です」と告白します。
ところが、天におられる愛の神は、「よろしい、あなたのその告白が真実かどうかを確かめるために一つの試練を与えよう。
あなたの大切な子が病気になり死ぬであろう。
そのときあなたはどうするか」と問うことがあります。

もしあなたが主イエスの無上の愛について告白したことばに偽りがなければ、そして、主がお求めになれば、あなたはあなたの最も愛する者でさえ犠牲にすることができ、「主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな」と告白できるはずです。

あなたに対する主の愛が深ければ深いほど、主はさらに試みられることがあります。
五人の子どもと夫を亡くしたある女性に手紙を書いたサムエル・ラザフォードのことを思い出します。
彼は驚くべきことに、「主キリストがあなたをどれほど愛しておられることでしょうか」と書いたというのです。

主はあなたの心のすべてを求められます。
主は地上的なことにあなたの心を没頭させることをお許しになりません。
この試みにあなたは耐えられますか。
すべてのことを主のためにのみ進めることができますか。

時に、主はこのような方法で私のもとに近づいてくださることがあるのです。
主は「わたしは長い間、このわたしを信頼するようにとあなたに命じた。
わたしは寛大な友人たちを通して、あなたの働きに必要なものをすべて与えてきた。
しかし、わたしはこの寛大なあなたの援助者をこの地上から追い払うつもりである」と言われました。

後に私がこの友人の墓地を訪ねると、私の耳に、「あなたの親しい友人は亡くなった。
ではいったい、だれがあなたの関わっている孤児院や伝道者養成のための学校の運営費を引き受け、支えてくれるのか。
このようなときでも、あなたは主なる神を信頼できるか」という声が聞こえたのです。

しかし、主の御名がほめたたえられますように!
このような試練も、私には何の影響も与えることはありませんでした。
後に主からの強い御力をいただき、困難な状況を克服することができたからです。

たとえ、あらゆる地上の支え手がなくなっても、あなたの人生の土台となる唯一の力を期待し、待ち望むことができますか。

神はこのような厳しい試練を与えることはそう多くはないかもしれません。
しかし、神は、あなたの信仰が本物か、それとも口先だけのものかを試すために、多くの試練をあなたに与えることがあることを忘れないでください。

God Bless You!!


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