2019年2月10日(日)の手紙

2019年2月10日(日)


『さて、私どもは王宮の塩を賜る者ですから、王に対する侮辱を見るわけにはいきません。それゆえ、私どもは人を遣わして、王にお知らせするのです。』エズラ記4章14節


ここには臣下に対する王の寛大な配慮が記されています。
「私どもは王宮の塩を賜る者ですから」と言われているからです。

私たちが日々飲料水としている上流の泉も、あるいは下流にある泉も、偉大な王(神)の尽きることのないあわれみによって支えられ、与えられています。
そして、幸いなことに、私たちは日常生活に必要な食べものも、着るものもすべて常に与えられています。

しかし、時に思わぬピンチに陥ることがあります。
そのようなとき、弱さのために、あるいは不信仰による焦りに掻き立てられ、「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか」と嘆いたことはなかったでしょうか。

私たちは今日もこの地上に住み、そこで主によって養われています。
父なる神の手から日々パンをいただいていることを特に感謝しなければなりません。

あなたは貧しさを経験したことはありませんでしたか。
祈ることによって与えられる日々のパンには、特別の祝福が伴っています。
私たちは岩から水を飲むことも、日々マナを収集する必要もありません。

しかし、神の摂理は今もなお同じ結果を生み出し、それによって私たちは養われ、必要が満たされています。

歩んだ道を振り返ることによって、多くの人が「私の杯はあふれています。まことに私のいのち
の日の限り、いつくしみと恵みが私を追って来るでしょう」と、感謝をもって告白することでしょう。

このように、私たちは日々の歩みの中においてさえ、王宮(神)によって支えられていると信ずることができるのです。

私たちが偉大な王(神)のあわれみを継続して受けている中で最も大切なことは、霊的な事柄です。
私たちの力は鷲のように回復されますが、その欠けには限りがありません。
それを自分で満たすことは不可能です。

しかし、偉大なる神よ、あなたの恵みといつくしみの宝は尽きることのない鉱山であり、それは私たちの内にある、どうすることもできない悲惨のように深く、私たちの罪と同じように限りがありません。
ですから、私をあなたの無限の恵みといつくしみによって満たしてください。

主なる神がこれまで導いてくださった道筋を振り返るとき、命の始まりについて神をほめたたえ、そして、人生の中間において起こったさまざまなことも賛美することができるはずです。
そして、命の最期のときに起こることについても、心から賛美できると、私は信じています。

それらすべてのことを通して、私たちは地上的なことにおいても、また霊的なことにおいても王宮(神)から必要なものはすべて支給され、満たされ、恩恵を受けているのです。

God Bless You!!


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