2019年12月5日(木)の手紙

2019年12月5日(木)


『同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。』ペテロの手紙第一5章5節


どんな人も苦難と試練を避けることはできません。
私たちは火から火へと移り、まるで炎の中に放り込まれているように感じることがあります。
不当な仕打ちを強いられ、苦労に苦労を重ね、ひどい苦難に陥れられることがあるのです。

試練を用意しておられる父なる神の目標は、神の子たちをへりくだる者に変え、その状態を長く保つことにあります。
このことを忘れることなく、神による知恵の教訓を手に入れてください。

使徒ペテロは、「同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。
みな互いに謙遜を身に着けなさい。
『神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる』のです。

ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。
神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます」と勧めています。

謙遜に振る舞うことのできる人は、たくさんいるでしょう。
しかし、それでその人が本当に謙遜な心をもって行動しているとは必ずしも言えません。
この両者には大きな違いがあります。

たとえ神がご自分の恵みを、あるキリスト者に与えることを控え、罪に陥るままにして置かれることがあっても、疑うことを知らない善良な人の目には、その堕落した状態がときに謙遜に見えることがあるのです。

しかし、それによって、その人が本当の意味で謙遜になることはありません。
その行動がいかに不道徳に満ちているか、その本来の姿を他人に見抜かせることはほとんど不可能です。

彼はなおも表面的には高邁な精神を貫き通すことができるかもしれません。
しかし、謙遜からは程遠いことがあり得るのです。

これが真実であれば、高慢な思いが堕落を引き起こす可能性があることを忘れてはなりません。
高ぶった思いがより穏やかな鞭の一撃によって弱められ、あるいは除かれなければ、その鞭はただ傷を残すだけで終わってしまうからです。

屈辱的な苦痛を避ける最も望ましい方法は自分で自分自身をへりくだらせることです。

謙遜になりなさい。
あなたが卑しめられないためです。
謙遜な態度を身に着けなさい。

そして、心からの謙遜な思いをもって神に近づきなさい。
そうすれば神があなたをことさらに叱りつけ、あなたに恥をかかせることはありません。

God Bless You!!


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