2019年12月28日(土)の手紙

2019年12月28日(土)


『主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』民数記6章26節


愛するみなさん。
あなたがたはあらゆる点において、またあらゆることに関して、主なる神を信じなければなりません。

「民よ、どんなときにも神に信頼せよ」。
「主は、ご自分の羽であなたをおおい、あなたはその翼の下に身を避ける」。
主の「顔は強く照り輝く太陽のようであった」と言われているからです。

ある人は、ただ主の御顔の笑みをいただくことだけを願います。
しかし、時に主があなたに拳を振り上げることがあることも、知らなければなりません。

「神がそんなことをするとは考えられない」と反論するかもしれません。
しかし、主はそうなさることがあるのです。

昔の信仰の偉人が、「見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも私の道を神の御前に主張しよう」と言いませんでしたか。
これこそ、ここで伝えようとしている教えなのです。

神の子どもたちは、日々さまざまな経験をします。
今日のあなたの心は、人に尽くそうとする優しい心です。
ところが、明日は他人を攻撃する戦場と化すかもしれません。
そして、あなたの心は時に聖なる場となり、あるときは、脱穀場にもなります。

しかし、どのような心の浮き沈みがあるとしても、あなたが召されて、示された場所から動かされることは決してありません。
神の恵みによって、あなたは現在置かれているところで歩むことを許され、また将来存在すると思われるところにとどまることになるのです。

主から引き離されることは決してありません。
永遠の愛があなたを支えているからです。

主を信じたにもかかわらず、期待した主の支えと慰めを受けることがなかった、と感じたことはありませんでしたか。
しかし、そのようなときでさえも、主からの支えと慰めは確かに与えられていたのです。

それでも、主のもとをただちに立ち去り、どこか他のところでそれらを探し求めますか。

しかし、神はお許しになりません。
たとえ、私たちが最悪の状態にあるとしても、福音を信じ、主の恵みを豊かにいただいていれば、その状態さえもこの世のどんなものよりもはるかに素晴らしいことなのです。

不信仰という外面的には非常に甘いように見える酒を飲むよりも、たとえその酒が酸っぱくても、むしろ私は主キリストの酒樽から飲むことを選びます。

ただちに慰めが与えられても、与えられなくても、福音を信じなさい。

私は悪魔のお気に入りになるよりも、むしろ神の家の番犬になることを選びます。
そして「主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように」と願っています。

God Bless You!!


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