2019年12月24日(火)の手紙

2019年12月24日(火)


『わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。』ヨハネの黙示録3章19節


人々に対する神によるさまざまな対応が世の知恵ある人たちを常に惑わせてきました。

神の啓示によらなければ、この世の被造物に対する神の対応を十分に説明することはできません。
なぜ悪人が栄え、力を振るっているのかについて、だれが矛盾なく説明できるでしょうか。

詩篇に「私は悪しき者の横暴を見た。
彼は野生の木のようにはびこっていた」と言われているように、罪深い者が栄え、豊かな富に恵まれ、塵のように金銀を蓄え、さらには、次々と広大な土地を手にすることがよく見られるからです。

その一方で、正しい人が地に投げ倒されることが起こります。
しばしば、徳は貧困というぼろ布を装ってやって来ます。

さらに、最も敬虔な人が飢え、喉の渇きを覚え、着るものにも事欠き苦しみます。

時にキリスト者が「私は神に熱心に仕えたのに無駄だった。
断食をしたが、何の効果もなかった。
どうしてなのか」と嘆くのを聞くことがあるのです。

異教徒たちは、「繁栄している人は神々に好まれ、成功していない人はいと高き方に嫌われている」と言います。
彼らは事の真相を何も理解していないのです。

苦難の中であえぐヨブとともに語り合った知恵ある友人たちもそうでした。
神に熱心に仕える人であれば、どんな人も家の周りに豪華な垣根を作り、そして、神は彼らの富を増やし、その幸いを増し加えてくれるものと信じられていました。

彼らはヨブの苦しみの中に、偽善者としてのサインを見たのです。
こうして、彼らは、神がその灯を消し、その光を闇に変えたと考えたのです。

残念なことに、キリスト者でさえ同じ間違いに陥ります。
彼らは、神が何らかの意味で人を高めてくれることがあれば、その人の中に卓越したものがあるに違いないと信じようとします。

しかし、神の懲らしめを受け、苦しみの中にいると、それは神の怒りの表れに違いない、と安易に考えてしまうのです。

聖書の御言葉に耳を傾けてください。
そうすれば、謎は謎でなくなります。

主イエスがしもべヨハネに語られた、「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。
だから熱心になって悔い改めなさい」。

この御言葉にしっかりと耳を傾けてください。
そうすれば、謎は解かれ、不可解は不可解でなくなります。

God Bless You!!


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