2019年12月16日(月)の手紙

2019年12月16日(月)


『私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。』ヨハネの手紙第三4節


本物の十字架ほど背負ったときに重く感じるものはほかにありません。

不信心の夫に縛りつけられている女性について、あるいは品のない妻に不釣合な軛によってつながれている夫について、そして、真理のうちを歩んでいない子どもを持つ両親には同情を覚えます。

父親が熱心に教会に行き、その息子が酒場に行くということはあってはならないことです。
親だけが聖餐の食卓に与るべきでしょうか。
子どもたちは参加しなくてよいのでしょうか。

神はそうならないことを望んでおられます。
もし心当たりがあるとすれば、これは多くのキリスト者にとって猛省を促されるテーマのひとつです。

もし私たちが死の川のかなたの永遠の世界を見ることができるのであれば、この光景はさらに厳粛なものとなります。
もし子どもたちが真理の道を歩まず、救われずに亡くなった場合、あなたはどう思いますか。

天で涙が流されることはあり得ません。
もしあるとすれば、天にいる人たちは新しいエルサレムの壁を見下ろし、壁の外に、そして、城門から締め出されている子どもたちの姿を見て、大いに嘆くことでしょう。

彼らを産んだ親たちが、天の父なる神の顔を覗き込みながら、嘆き、痛む歯をさらにきしらせるとするなら、悲しいことと言わざるを得ません。

息子、娘たちの死、彼らの二度目の死を嘆く人が多くならないことを祈ります。
彼らの人生の最後が神への賛美の時となるようにと願ってやみません。

彼らの父親の神、彼らの母親の救い主が辱められるよりは、子どもらが季節外れの果物のように朽ちてしまうほうがよかった、などと言われることがあってはなりません。

死を迎え、「さあ、わたしの父に祝福された人たち。
世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい」と彼らの両親に対して宣言されたその同じ唇から「去れ、呪われよ」ということばを耳にするのは本当につらく、悲しいことだからです。

私たちの前にある喜びの大きさと比例して、正反対の恐怖も存在します。
この恐ろしい悲劇が家族と関わりのある人たちに起こることがないようにと私は心から祈っています。

「自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません」。
だれもがそう願うはずです。

そう願ってください。
またそうなるように努力してください。

God Bless You!!


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