2019年11月8日(金)の手紙

2019年11月8日(金)


『もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。』ヘブル人への手紙12章8節


私の古い友人で、六十年間一日も病気をしたことがないとよく口にしていた一人の老人がいます。
彼は申し分のない、健康な人でした。
ところが、およそ三か月前、彼は腸チフスに罹ったのです。

私は彼を見舞うため病床を訪ねました。
そして、回復した後、彼は私に会いに来ました。

腰をおろすと彼は、「ご覧のように、私はかつての私ではありません。
この病を通して人間的には大きな成長を遂げることができました。
以前は自分の弱さに気づきませんでした。
しかし、今私は謙遜にされました。

聖書は『もしあなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません』と教えています。
私は私生児ではありませんでした。
私は今訓練を受けています。
私は今まで以上に、本当の子でありたいと望んでいます」と言ったのです。

試練を受けている神の子はすべて、神の約束によって与えられる鞭により、救いの確信を得ることができるように、神によって整えられるのです。

あなたがた神の子は、この鞭を受けることなしに十分に成長することはありません。
主が十分と判断できるようなものをあなたがわずかでも獲得できるように私は願っています。

私自身について言えば、私が持つすべてのものは、炉と金槌とヤスリによって与えられたものです。
私は神によって鞭打たれ、訓練を受けたとき以外、天国についての学びにおいて成長した記憶がないのです。

私の家にある最高の家具は十字架でした。
私が最も裕福な者になれたのは個人的な痛みを経験できたからであり、私はそれについて心から神に感謝しています。

もしあなたが試練を神からの訓練として耐えるなら、神があなたを本当の子として扱っておられる証拠です。
私たちが神の子と呼ばれているのは、豊かな神の愛を受けているからです。
私たちはみなそうなのです。

私生児は父なる神の訓練に反抗します。
しかし、賢い子は鞭を喜び、そのための手段として用いられる手にむしろ感謝します。

ヨブは「見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも私の道を神の御前に主張しよう」と言いました。
このように告白できることが、私たちが真実、神の子であることの確かな印なのです。

God Bless You!!


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