2019年11月23日(土)の手紙

2019年11月23日(土)


『あなたがたのいのちとは、どのようなものでしょうか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です。』ヤコブの手紙4章14節


聖アウグスティヌスは、霧のことを死につつある命と呼ぶべきか、それとも生ける屍と呼ぶべきか、よくわからないとたびたび言っています。

この言い方のどちらを選ぶべきかについては、読者にお任せすることにします。
しかし、これは死につつある命であることは確かです。
というのは、それはあたかも墓に向かって消えていくように見えるからです。

そして、何らかの奇跡でも起こらないかぎり、この墓地という行き先を変えることはできません。
どんなものも一時といえども全能の神によって支えられ、保たれていなければ、土は土に、ちりはちりに帰るのです。

それは死につつある命であり、あるいは、生ける屍です。
これも同様に真理です。

私たちは常に死に向かって歩んでいます。
一つ一つの鼓動は次第にその数を少なくし、年月が経過すればするほどその数は減少していきます。

この地上にとどまっているかぎり、また地球が太陽の周りを回っているかぎり、私たちは驚くべき速さで宇宙の中を突き進んでいます。

私たちすべては常に変化しています。
しかし、そのことにだれも気づくことはありません。
この瞬間にも、あなたは光の速さで永遠の世界に向かって進んでいます。

自分では何も変わっていないと思っています。
しかし、少しも休むことなく、その流れは私たちを前方へ、そしてさらに前方へと運んでいるのです。
だれであっても「前進、前進、前進」という命令に逆らうことは不可能です。

子ども時代から青年時代へと、大人から老年へと、どんな人も同じように隊列を組んで前進しているのです。
その列からだれも離れることはできません。
眠いときであってもそこに長居することはできません。

では、人生とはいったい何なのでしょうか。

この聖句は教訓的な答えを与えています。
しかし、人生とは実際何なのかを、…実は霧のようなものでしかありません… そのあるがままに教えているわけではありません。

使徒ヤコブは私たちの人生をとらえがたい、消えゆく、もろいものである霧にたとえています。
もしあなたが森の中の高いところに住み、そこから森の様子を見下ろすことができるなら、あなたは朝早く谷を覆う霧を目にすることでしょう。

高い楡の木の先端が雲の中に島のように浮かんでいるのがわかります。
それはまるで教会の尖塔かビラミッドのように霧の中から浮かび上がって見えます。

間もなく霧は消えます。
霧は非常に希薄で、微細であり、風のそよぎがそこに飛び散っているかのように感じます。
実はこれがあなたの人生なのです。

これこそが、ヤコブが私たちに示そうとしている光景です。

人生とはいったい何なのでしょうか。
それはしばらくの間現れ、やがては消えていく霧のようなものでしかないのです。
ですから、今のこのひと時を大切にしてください。

God Bless You!!


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