2019年11月16日(土)の手紙

2019年11月16日(土)


『あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。』ヤコブの手紙1章3節


キリスト者の生活にとって最も安全なときとは、実は試練を受けている時なのです。

逆境に追い込まれたとき、何とたびたび祈りをささげたことでしょうか!
キリスト者は常に祈ることなしに生きることはできないはずです。
私たちはあわれみの御座に、自ら背負っている重荷を何度も何度も運び込み、そして、それらをそこに降ろしました。

私たちは落胆すると懸命に聖書を読みます。
人を惑わすような大衆文学にその解決を求めることはないでしょう。
そうではなく、神の国に関する確かな約束、固い肉を求めるはずです。

逆境のときには、私たちは耳を澄ますようになります。
花のことや美辞麗句などには関心はなくなり、神のことばを一心に求め、純粋な神の教えを一途に求め、主キリストを求めるようになります。

気まぐれや幻想によって信仰が成長することなどあり得ないからです。

そのようなときには、神学的思想や教会の権威などについて極端にこだわることはないでしょう。
ただ少しでも永遠の愛、永遠の真実について、また、万軍の主が私たちの魂をどのように扱われ、そして、救われるかについて、これまで以上に熱心に、しかも深く知りたくなります。

私たちキリスト者はこの世に深入りすることなく、緩やかに接触しつつ歩みます。
しばしば自分の存在が何らかの妨げになることを予想し、他の人の邪魔にならないようにと望みます。

なぜなら、私たちキリスト者にはこの世は魅力のないものとなっているからです。
むしろ、私たちは炉の中に投げ入れられることによって、信仰の成長が与えられることを確信するのです。

神がこの世において与えてくださる喜びと祝福が、神に対する愛と感謝の思いをさらに高め、増し加える要素となるべきです。
これが本来あるべき姿です。

この喜びこそ、最高に聖別されるために必要な動機となる要素なのです。
しかし、多くの場合、人は嵐に出遭うことがなければ主キリストに近づくことはありません。

このように、信仰の世界には祝福と幸いに満ちたいくつかの逆説があります。
私たちには鞭が必要です。
主の懲らしめによる以外、主なる神への従順を学ぶ道はないのです。

God Bless You!!


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