2019年11月12日(火)の手紙

2019年11月12日(火)


『主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われたからです。』ヘブル人への手紙一3章5節


この翻訳は、ことばの本来の意味を十分に伝えていません。
英語あるいは日本語で、ギリシア語の本来の意味を伝えることはほとんど不可能です。

次のように翻訳することにします。
「わたしは決して、決して、決してあなたを離れず、そして、決して、決して、決してあなたを捨てない」と。

一人の旅人を荒涼とした荒野に連れて行くことにします。
そこには人影は全くなく、ほかの旅人の足跡さえ見られません。

完全な孤独状態に陥れられたこの人は助けを求めます。
しかし、岩からの空虚なこだまだけがただ一つの答えです。

空には鳥も見かけず、荒れ地には餌をあさり歩くジャッカルさえ、あるいは、神を思い起こさせるような単性の草の葉さえ見当たりません。

しかし、そのようなところであっても彼は決して一人ではありません。
不毛の岩さえもが神の存在を証明しています。
その足もとの砂と頭上に照り輝く焼けつく太陽は、神が生きておられることを証言しているのです。

しかし、神によって捨てられた場合の孤独状態はどうなるでしょうか。
全くの孤独に置かれることほど恐ろしいことはありません。

しかし、ダビデは「私が暁の翼を駆って 海の果てに住んでも そこでも あなたの御手が私を導き あなたの右の手が私を捕らえます」と言うのです。

孤独感はだれであれ、喜ぶことのできない感情です。
あるいは、孤独にはある種の魅力があるかもしれません。
しかし、無理やり孤独に追いやられた人はこの魅力ある孤独感を見いだすことはできません。

短期間の孤独は快感を与えるかもしれません。
しかし、たった一人だけになること、しかも完全に一人の状態にされることは恐ろしいことです。
さらには、神なき孤独ほど恐ろしい孤独はありません。

ですから、完全な孤独の中から生ずる恐怖と苦悶の叫びが、呪われた人の唇に上ることが仮にあるとしても、私には当然のこととしか思えないのです。

あなたと私は神の約束によって守られています。
ですから、神によって捨てられるという絶望的な孤独を経験することは決してありません。
このことを神に感謝しましょう。

それにもかかわらず、たとえ私たちが神によって捨てられていると思うことがあっても、神は決してそうなさらないことを忘れないでください。

God Bless You!!


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