2019年10月9日(水)の手紙

2019年10月9日(水)


『それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。』テサロニケ人への手紙第一4章17節


神は死においてさえも私たちとともにおられます。
「私は知っています。あなたが私を死に帰らせることを。すべての生き物が集まる家に」。
「主は私を緑の教場に伏させ/いこいのみぎわに伴われます」。

「たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。
あなたが ともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖 それが私の慰めです」。

友よ、このように私たちは常に神とともに歩んでいます。
ですから、死の時も神とともにいることになるのです。

主イエスが私たちの友となってくだされば、私たちの人生は長い憩いのひと時となります。
ですから「まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、平安のうちに導かれて行く。
山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす」と言われるのです。

私たちが永遠の報酬を得るためによみがえるとき、自然界も同様に喜ばないことがあるでしょうか。
単に生きることが幸いなのではなく、神とともに生きることが幸いなのです。
死ぬことが悲惨なのではなく、神なしに死ぬことが悲惨なのです。

子どもは夜就寝のためにベッドに行きます。
しかし、母親が一緒であれば子どもが不安になることはありません。

夜は闇に満ちています。
しかし、母親の目が子どもの目になります。

夜は孤独感に襲われる時です。
しかし、母親の腕が子どもの友となるのです。

夜は静寂です。
しかし、母親の声が子どものための音楽、また子守歌となります。

主よ、私が就寝のためにベッドに行く時が来れば、あなたは私をそこに伴い、優しく私の耳に語りかけてくださることに私は気づくのです。

死の恐怖を完全に取り去ってください。
たとえ暗闇が押し迫って来ても、主は、私の光、私の救いです。
私たちの体がしばらくの間卑しい状態で墓の中に休むとしても、私たちの魂は永遠に神とともに過ごすのです。

それゆえ使徒パウロは、「号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。
そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。
こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
ですから、これらのことばをもって互いに励まし合いなさい」と勧めているのです。

God Bless You!!


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