2019年10月13日(日)の手紙

2019年10月13日(日)


『ですから私たち自身、神の諸教会の間であなたがたを誇りに思っています。あなたがたはあらゆる迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っています。』テサロニケ人への手紙第二1章4節


神の民が試練を受けるのはごく普通のことです。
しかも、試練が多ければ多いほど、それだけ多く神の恵みをいただくことができるということ、これは真実です。

「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」、
「あなたが水の中を過ぎるときる、わたしは、あなたとともにいる。
川を渡るときる、あなたは押し流されず」と言われているからです。

次のエレミヤの教えにも耳を傾けましょう。
「実に、私たちは滅び失せなかった。
主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい」。

「主のあわれみが尽きない」。
この教えは私たちの心を躍らせます。

「それは朝ごとに新しい」。これも素晴らしいことです。
確かに朝ごとに新鮮なのです。

ある朝突然に新しく感じるということではなく、毎朝がそうなのです。
一月の最初の日から十二月の終わりの日まで、毎朝常に、主にある新しい経験が与えられるのです。

毎朝新しい主からの恵みが与えられ、朝ごとに今までになかった新しい一日が始まります。
朝ごとに神をほめたたえる理由が与えられます。
なぜならば、実は私たちは主による許しがなければ一日も、いや一時間も、ましてや一分も長く生きる権利を与えられることはないからです。

しかし、エノクが生きたように、私たちも神とともに歩むためであれば、もう一日長くこの地上を歩む権利が与えられてよいのです。
アブラハムが神を信頼したように、神を信頼するためであればもう一日多く生きることを許されてもよいのです。

豊かな収穫を刈り取るためであれば、もう一日長く生きてもよいのです。
栄光をいただけるにふさわしく成長するためであれば、もう一日多く生きる特権が与えられることでしょう。
主イエスとの交わりを望むためであれば、神はもう一日長くこの世に存在することを許してくださいます。

私たちの歩みは、神によってすべてが与えられる毎日の連続です。
それらの日々がこの上ない価値があることを教えてくださいと神にお願いしましょう。
なぜなら、それらは尊い価値のある真珠のようなものだからです。

新しい朝が来るたびに、神に対して「このことを私は思い起こそう、なぜなら、私には希望があるからです。
主のあわれみによって、私たちが疲れることはありません。
なぜなら、主の思いやりは絶えることがないからです。
それらは朝ごとに新しく、あなたの真実はあふれるばかりです」と告白し、神をほめたたえましょう。

God Bless You!!


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