2019年1月20日(日)
『ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。』ヨシュア記1章7節
神は神のしもべたちを深く愛しておられるゆえに、彼らの中に隠されている内なる思いについて深い憂慮を覚えることがあります。
信徒が疑いと恐れについて悩むことは小さなことだ、と考える人がいるかもしれません。
しかし、神はそのようには考えておられません。
神は私たちに思い煩いや疑いをもたないようにと望んでおられます。
落胆すると私たちは、これらの病の餌食となってしまいます。
ですから、この病を軽視してはなりません。
ただちに魂の医師である愛する主なる神のところに行きなさい。
主は私たちを悲しいままにしてはおかれません。
だれも喪服を着たままで王宮に入ってはならない。
これがクセルクセス王の制定した規則でした。
しかし、これは王の中の王であられる神が制定された規則ではありません。
私たちは喪中であっても、悲しんだままであっても、大胆に主に近づいてよいのです。
主は「憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせる」方だからです。
キリスト者は雄々しくあるべきです。
ひるむことなく試練に耐えているときであっても、主に栄光を帰することを忘れないでください。
恐れをもって歩んでいると、神に恥を与えてしまうことになるからです。
疑いと臆病という病は、主の群れの中にたちまち広まってしまう恐ろしい伝染病です。
意気消沈した一人の信徒は、二十人の人を悲しませてしまうほどの力をもっています。
あなたが勇気を保てないのであれば、サタンは手に負えない存在となり、格好の餌食となるでしょう。
あなたの魂が、救い主である神を喜ぶことができるようにと心から祈ります。
「悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ」。
これが主のご命令であり、約束です。
そのような力を与えられているのであれば、地獄のサタンもあなたに立ち向かうことはできません。
さらに、何事であれ喜んで事に当たる人にとって労働は厭うべきものではなくなります。
成功は喜びのしもベなのです。
神を喜びつつ労働に勤しむ人、そして、神を心から信じる人には成功が待ち受いることを忘れないでください。
あなたが希望を抱いて種を蒔くなら、喜びあふれる中でその実を刈り取ることになるでしょう。
ですから私は、「ただ強くあれ、雄々しくあれ」とお勧めします。
God Bless You!!
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