2019年1月16日(水)の手紙

2019年1月16日(水)


『主は荒野の地で、荒涼とした荒れ地で彼を見つけ、これを抱き、世話をし、ご自分の瞳のように守られた。』申命記32章10節


信徒のみなさん。
もしあなたが困難の中に置かれているのであれば、その困難の声は、あなたを神へと近づけようとするための手段であることを忘れないでください。

神はあなたに恵みを示し、その恵みの中で成長の手段を用い、あなたに驚くべき好意を示しておられるのです。

ラザフォード牧師の比喩を用いて表現すれば、このことは「主はあなたがたを暗い酒蔵に置いた。
さあ、暗闇の中で熟成した最高の酒を楽しもうではないか。
万軍の主はこの山で祝宴を開き、すべての民に「髄の多い脂身とよくこされたぶどう酒の宴会を開かれる」。

主はあなたがたを荒野に連れ出した。
さあ砂漠の荒野の中に隠されている宝を見つけ出そうではないか」という意味です。

最高の喜びと背中合わせに、最も深い苦悩が存在することも忘れてはなりません。
与えられるかもしれない最大の特権は、最も困難な試練と隣り合わせでもあるのです。

あなたの悲しみが深まれば深まるほど、喜びの賛美の声は最後には、はちきれんばかりになることでしょう。

そこには深遠な理由が隠されています。
その理由は、信仰を深めることによって初めて発見できるものであり、また経験を積み重ねることによってしか見いだされないものです。

苦難は人を神へと近づける道です。
私たちが経験する不運は、むしろ私たちを神へと導く灼熱の戦車なのです。
次々と襲いかかる苦難は、かえって私たちを天国へと近づかせてくれます。
神のさばきによって神へと引き戻されるとき、それは祝福をいただく始まりなのです。

試みの中にある友人のみなさん。
神があなたがたを大いに祝福してくださるようにと祈っています。

God Bless You!!


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