2018年9月30日(日)の手紙

2018年9月30日(日)


『(神は)ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。』使徒の働き14章17節


まさにそのとおり。
使徒パウロは、「食べ物が語る説教」をしているのです。
小アジヤのルステラでのことです。

異教の祭りの混乱に引きずり込まれて驚いたパウロは、群衆の中に駆け込んで、生けるただひとりの神をあかしし、叫びました。
「あなたがたはこの方を知るべきです」。
「なぜなら、この方が食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしたからです」。

収穫の祭りを祝うのならば、私たちもこのことに耳を傾けるべきです。

そしてパウロの表現には興味探い点があります。
「神は食物で私たちの胃を満たしてくださった」ではいけなかったのでしょうか。

現代のある聖書翻訳者は次のような修正訳を試みました。
「神は食物を私たちに与え、喜びで私たちの心を満たされた」。

しかしギリシャ語本文は明らかに「神は食物と喜びとで私たちの心を満たしてくださった」となっています。

これは何を言うのでしょうか。
神が私たちに日ごとの食物をお与えになる場合、神にとっての問題は私たちの心です。
パン一切れが「神はあなたの心を求めておられる」、「神はあなたの心を動かそうとなさっている」と説教しているのです。

どうか私たちが、「食べ物説教」を聞き取ることができますように。
そうすれば毎回の食事は小さな祝いとなるでしょう。

が、私たちには、この「食べ物説教」を聞こうとしない、固い心があるのです。
人の心ほど固いものはありません。

それゆえ神は、私たちのために全く別のパンを用意されました。
愛する御子イエス・キリストです。
しかもその主を死に引き渡されたのです。

私たちのために。

天の父よ。
私たち逃げ出した子どもたちのために、あなたはなんという労を、いとわないお方でしょうか。
感謝いたします。アーメン

God Bless You!!


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